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「歌が上手い」人が「日本語を上手に歌える」人とは限らない

先日声楽のレッスン中に、パヴァロッティのイタリア語がどれほど素晴らしいか、という話になりました。私も先生もパヴァロッティの大ファンなので彼の話になることはとても多いのですが、あの底抜けに明るい声も、ひっぱって聞かせるところの甘さも、何もかも素敵ですけれども、その中でも「パヴァロッティほどイタリア語が上手な人はいない」とイタリア留学経験のある先生が仰っておりました。
私はそれほどイタリア語に対する耳が鋭いわけではありませんが、それにしても難しい歌い回しの部分をもの凄く聞きやすく歌っているのに、課題曲として取り組んでいるとき何度も助けて貰いました。パヴァロッティの音源がないものは敢えて課題曲から外すほどです。
そしてその話をしたときに思ったのです。日本語で歌う我々、プロでもアマでも良いけれど、歌が上手いと日本語が上手いはビタイチ一緒じゃないな、と。

例えば、凄く不遜で失礼ですし、偏った見方ですけど、ピッチが正確とかそういう「テクニック的な歌の上手さ」からすると、忌野清志郎さんとか、甲本ヒロトさんとかが、もの凄く歌が上手いとは言えないと思います。でも、彼等は絶対確実に、言葉が聞こえる歌うたいさんたちです。寧ろ清志郎さんなんかは言葉をちゃんと伝えるために敢えてあの歌い方になったのだとも思いますし、ヒロトもそうだと思います。
翻って割と歌は上手いと言われている(と思うのですが)平井堅さんなんかは、聞き取れないという意味ではなく、言葉より音を優先させるという意味で、私的には「日本語を上手に歌う」にカウントできません。例を挙げると、もの凄く流行った「大きな古時計」の歌い出し、「お・おきな」と一つ目の「お」の後を切るんですよね、彼。言葉としては「大きな」なので、そこ切る必要ある?寧ろ切っちゃ駄目だよね、と思うのです。
日本語崩壊で言うのであれば、ミュージシャンとしては素晴らしいと思いますし、歌詞にだってもの凄い文学や詩心が溢れているのに、別にそこを打ち出すつもりのない桑田佳祐さんが筆頭かなと思います。佐野元春さんや桑田佳祐さんが、「日本語で歌うロックは格好悪い」的な風潮を生み出したかなと。昔の吉川晃司さんは、佐野元春さんに大分かぶれて、日本語どころの話じゃなかったですけど、ミュージカルやるようになって激変しましたね。
これらのミュージシャンを私が嫌いというのじゃありません。寧ろ大好きな人達です。であっても、「日本語を上手に歌う」という観点からしたら、そこにはあてはまらないよね、というだけのお話です。

勿論歌や音楽が、言葉のために存在しているのではないのは当然です。私自身、全く意味のわからない外国語の曲を好んで聴いていたり(Kari Rueslattenが何語で歌っているのか未だに知りませんし調べてません)、何なら実在しない言語を作り、それで歌っている人(ERAとかADIEMUSとか)の曲が大好きだったりします。楽曲の素晴らしさ、メロディの美しさ、コーラスの心地よさ、色々な要素が歌を作っていて、それを楽しむ事は別におかしな事でも悪いことでもないですよね。
ただ、自分が発信する側になったとき、私は母語である日本語をしか美しく正しく操ることが出来ません。その「美しく正しく」だって相当怪しいものです(だから日々研鑽している訳です)。
そして、私は自らメロディや楽曲を産む出すことが出来ません。試したこともあるのですが、全くセンスもなければ向き不向きのベクトルが明後日の方向を向いている事だけはよく判りました。
歌詞を書くことは出来ます。他人様の楽曲に歌詞を提供したこともありますし、詞先(曲より先に歌詞を書いてそれに曲をつけること)の曲は、師匠にもの凄く多大な協力を頂いてひねり出したことはあります。なんにせよ、私にとってはまず先に音より言葉があるのです。
そういう、ただの「歌うたい」である自分を鑑みたとき、言葉が伝わらなかったら何も伝わらないですし、格別もの凄く上手いわけでもない私がそれでも、家の中でハミングする以上に殊更に「歌う」のであれば、聴く方にとって価値があるのは私自身の歌への献身、歌うことの幸せ感、そしてその曲の持っている言葉をきちんとお伝えすること、これ以上にないと思い今に至っています。

長年ボイストレーニングを続けていて、でも別にプロになりたい気持ちがあるわけでもなく、ただただ己自身の満足であったり「まだ足りない」「まだまだだ」という、綺麗な言葉で言うなら向上心が有り続けているから、ずっと歌うことをやめられずにいます。何より、メンヘラで、気持ちが闇落ちしがちな私にとって、猫と歌は本当に生きるための支えなのです。私自身にとって欠かせないパーツです。
そういう私にとってですら、「歌」というものは、どうしたって「聴いて頂く」っていう側面を持ち続けているとも思うのです。独り言と、はっきり伝える言葉が違うように、ハミングでも鼻歌でもなく、きちんと形を整えて歌った歌は、やっぱり「伝えたい」という思いをどこかに内包しているような気がするのです。

という能書きのもとに私は、主には声楽の先生とパヴァロッティの話をしたせいですが、歌が上手い人だけではなく、そこに加えて日本語を上手に歌える人になりたいな、と最近特に強く思うようになりました。
藤山一郎さんとか美空ひばりさんとか由紀さおりさんとか、ああいう方々は本当に安心安定の日本語ですが、比較的最近(でもないですけどね)の方達だと、個人的に「上手だなぁ」と思ったのは五輪真弓さんですかね。勿論、日本人歌手片っ端からそういう耳で聴き直した訳じゃないので、つい最近耳に入って上手かったっていうだけなんですが。
後は私基準の全方位的に素晴らしすぎるのは玉置浩二さんでしょうか。玉置浩二さんが音楽活動して下さる度に、奥様である青田典子さんに「ありがとうございます!」と感謝を捧げずにいられません。あれだけの歌を歌える方が、病気療養中とかで歌わないとかもったいなさ過ぎます。
あ、現役OGを問わず、宝塚歌劇団の方は除外しております。あの方達は「歌劇団」の方達で、歌うように科白を言い、語るように歌うのを良しとして訓練なさっている方々ですから、意識無意識問わず、そしてピッチの正確不正確を問わず、きちんと言葉を歌う人が殆どですので。
あと、日本語基準なので、歌詞に英語とかがやたら入りまくる人のことも基本除外してます。これまた私基準ですが、私は日本在住で、日本語が母語で、想定している「聴いて下さる方々」も日本語が母語の方なので、そこに外国語が介在する余地がないというか、意味がない、と思っているので、自分で書く歌詞に外国語(既に日本語として充分に馴染んでいると思われるものは除外。例えばラブレターとか)は一切含まれません。人に依頼された時にそういう歌詞も書いたことありますが、決して本意ではないです。プロではないので、売れるためにとかそういう必要がありませんし、これは単なる私の主義というか拘りポイントっていうだけです。

もし「この人凄い日本語上手に歌う人だよ」ってお心当たりがあったら是非教えて頂きたいです。修行のためにも是非そういう方の歌を沢山歌いたいです。





※マシュマロ始めてみました。コメントより気楽かなと思って。
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