個人は人類の代表者という世界観
内村鑑三の代表作
明治に活躍したキリスト者である内村鑑三の代表作は、『代表的日本人』(原題:Representative men of Japan)という英語の著作である。
岩波文庫で、翻訳を読むことができる。
西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人の五人を描くことで、日本人を代表させると同時に、日本に息づく霊性を浮かび上がらせようとした作品である。
内村のこの著作には、元となる本がある。
同時代人で、19世紀アメリカのキリスト者・思想家ラルフ・ヴォルド・エマソンの”Representative men(代表的人間像)”である。
内村鑑三はこの本をよく読んで、『代表的日本人』を英語で書いた。
当時の第一級の国際人
内村は、岡倉天心、鈴木大拙と並んで、当時の第一級の国際人である。
この少し後に、新渡戸稲造、矢内原忠雄がおり、さらに、我々に近いところで、言語哲学者の井筒俊彦がいる。
一体、今の日本人で、後世に読み継がれる英語の著作を書ける人が、一体どれだけいるだろうか。
彼らはすぐれた英文で本を書けたが、それはきちんとした母語を身に着けていたからに他ならない。
母語を大事にしない国は亡びる。
プラトン礼賛から始まる本
エマソンの『代表的人間像』は、プラトンを描くことから始まる。最初の一節を引用する。
“マホメット教二代目の教主ウマルは、聖典『コーラン』をたたえて、「天下の書庫を焼きはらうがよい、この一書があれば、すべてにこと足りるからである」といったが、この熱狂的な賛辞にふさわしいのは、かずある古典のなかで、ただプラトンだけである。彼の文章のなかには、さまざまな民族の教養がふくまれている。それは、さまざまな学派をささえる柱であり、さまざまな文学が流れでた源泉であり、論理学、算術、趣味、均斉、詩歌、言語、修辞学、実体論、道徳、さては処世の知恵にいたるまで、すべての教えをふくんでいる。” (『エマソン選集6 代表的人間像』日本教文社、1961、p.3)
「マホメット教」とはイスラームのことである。
その聖典の一節を引きながら、プラトンへの賛辞から本書を始める。
キリスト教の牧師であった人が、『コーラン』を引用しながら、プラトンを称賛することから、本を始めていることを、考えてほしい。
当時の人々にとっては、なかなかに衝撃的な始まりであっただろうと推察する。
個人は人類の代表者という世界観
プラトンに続いて、スウェーデンボルグ、モンテーニュ、シェイクスピア、ナポレオン、ゲーテを描く。
そうすることで、大きな総体としての人間あるいや霊性を、エマソンは描いていく。
内村の『代表的日本人』も同じで、西郷隆盛、中江藤樹、上杉鷹山、二宮尊徳、日蓮を描くことで、日本人の底を流れる地下水を描き出そうとした。
ある個人が、人類の代表者なのだという世界観である。
だから、エマソンや内村の本で、本当に見るべきは、個々の人物であるよりも、複数の人間を貫いて流れる何かである。
支流ではなく、源を見なくてはならない。
エマソンや内村の本を読んで、「ゲーテがどうした」とか「二宮尊徳がどうした」とのみ論じる人は、著者の意図を完全に見誤っている。
「この6人(内村の場合は5人)を通して、何を描き出そうとしているのか」と、あたかも一枚の絵を見るかのように、読まなくてはならない。
今、『代表的人間像』を書くなら?
今、もし『代表的人間像』や『代表的日本人』のような本を書くとしたら、一体、誰を取り上げるだろうかと、ふと思う。
もし日本人であれば、パッと浮かぶのが、内村鑑三、岡倉天心、石牟礼道子である。
自分の道を歩むことが、自己を超えた大きなものの到来であるような歩みをした人々。
5~6人選ぶのも容易ではない。
正解はないが、「私にとっての代表的人間」「私にとっての代表的日本人」を考えることで、思わぬ思索が展開されるような気がする。
それは、自己の意外な一面に出会う、意義深い営みとなるだろう。
試みにやってみてもいいかもしれない。
( ´∀`)サポート本当にありがとうございます!!😭😭😭🥰🥰🥰 ( ・ ∀ ・)ご恩返しするためにも、今後も一生懸命頑張ります!!😊😊😊