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不接種を決めた人を狂人扱いする「大人」たちへの憤りtweetまとめ

私も狂人扱いされてきた

 自分の頭で調べ、考えて、コロナワクチンを接種しないことを決めた学生に対して、家族や周囲の大人は狂人扱いをするだけでなく、変な思想や人脈にそそのかされていると思って厳しく注意している。そのことに対して、強い憤りを感じている深思考CEOさんのtweetを見つけたので御紹介します。

 まず初めに、私自身、この学生さんと同様の体験をしてきたので、それを述べたいと思います。

 家族から「頭おかしい」だの「変な宗教にハマッている」だの、今年は何度も言われました。

 母とのやり取りについては、4月頃に書いたこちらの記事の「[追記]家族間のLINEグループについて」と「[追記]話し合いが終わって」で触れています。一体、どちらが幼稚なのでしょうか。

 自分の健康・生命に関わることを、自分で調べ、自分で考え、自分で決める、それが、そんなに異常でしょうか?

 むしろ、テレビや新聞や専門家の意見を鵜呑みにし、役所に掲載されているデータすらろくすっぽ調べず、他人がなぜそのような見解になったのかという背景や過程・理由を理解しようとしない方が「狂人なのであり、冷静さに欠け、物事を客観視できず、感情論がベースで、深い思慮も無い、変な思想や人脈にそそのかされている」人なのです。

 こうした「無知による心配はただの害悪であり、善人の無知は暴力」以外の何ものでもありません。

 4月頃に投稿した「自他を助けられる人とは?」という記事で、和尚のこういう言葉を引用したのを思い出しました。

“無意識の人々の中にある善意は危険だ。彼らは自分が意図した結果をもたらすことはできない。彼らはまさにその反対を生み出すかもしれない。”(p,308)

 自分の頭で考え、自分で重要な決断をした若者・子どもを狂人扱いしている人々の善意こそ、危険であり、彼らは意図した結果を生み出すことはできません。

 しかも、傲慢で、プライドが高く、「物事は子どもよりわかっている」という思い込みが強いために、「自分の意図通りの結果を生むことすらない」という事実さえ、認めることができないのは、狭量で、視野が狭く、冷静さを欠き、感情論に陥っているとみなされて、当然でしょう。

 そもそも、すぐに相手を「こうだ」と決めつけ、相手の言葉をまともに聞こうという態度すらないのは、極めて幼稚です。

 また、事実に基づくことを提示されているにもかかわらず、真剣に考慮しようとせず、「そんなこと、テレビや新聞で言ってないよ」と、情報提供者を一笑に付して、煽られるままに危険な物質を体内に入れるのは、果して、思慮があると言えるでしょうか。

 むしろ、厳しいことや事実に基づくことを言われた際、感情的になる自分を押し留め、可能性としてでもあり得るかもしれないと検討・吟味し、もしそれが正しかったのなら、時間がかかっても受け入れ、自分のあり方・生き方・考え方を修正していける人を、成熟したと、人はみなすのではないでしょうか。

 何歳であっても、それができる人を大人といい、体が大きく、金持ちで、経歴が立派でもそれをできず、他人を簡単にジャッジし、暴力・暴言を振う人を、子どもと言うのです。後者の子どもは、社会にとって有害無益です。

 だから、こういう大人の暴力に傷ついている人に目を向け、必要なら、深思考CEOさんのように、怒って、理路整然と過ちを指摘するのは、真っ当な大人の務めだと思います。

 自分でそれができなければ、真っ当なことを言っている人を紹介するとか、意見を拡散することをすればいい。

 少なくとも、狂人のような「大人」に与しないのが、思慮ある態度というものです。

深思考CEOさんのtweetスレッド

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