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未来を捨てる者が未来を創る

まだ「絶望」を口にするのは早すぎる

 現下の世界情勢あるいは日本の情勢について、戦時下・戦時中という認識を、去年から抱いている。

 あるいは、善や人類が崖っぷちに立っているとも表現できようか。

 こうした認識を抱いている人は、Twitterを見る限り、少なくない。

 が、それでも、垂直軸を持っていない人々は、容易く絶望的・悲観的な方向に落ちこんでいき、絶望論者に成り下がっている人も見られる。

 彼らが自分の責任でそこに滑り落ちていくのは彼らの自由だが、「現実を見ろ」「希望なんてない」と周囲を巻き添えにする益体もないことを述べるに至っては、正直言って、見苦しい。

 まだ食糧や飲み物を手に入れることができ、意欲さえあれば、自分で何が起きているかを調べることができ、多少のスペースがあれば運動ができ、仕事も探せば見つかり、人と知り合うこともできる状況のどこが、絶望なものか。

 容易く「絶望的」と言う人を見ると、思い出すアニメのシーンがある。

 『聖闘士星矢 THE LOST CANVAS冥王神話』のアニメ18話、ハーデスの双子神との死闘で、絶体絶命のピンチを迎えた際、蟹座の黄金聖闘士マニゴルドは「絶望的ってやつですね」と、師で教皇のセージに言う。

 すると、前聖戦の生き残りで、前代の蟹座の黄金聖闘士であるセージは不敵な笑みを浮かべ、こう答える。

"絶望?簡単にそんな言葉を使うでない"

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 それを聞いて、以前、言われた師の言葉を、マニゴルドは思い出す。

 人の生を蹂躙する冥界の王ハーデスと戦う理由を諭された時だった。

 "己の中の生を感じろ、マニゴルド、その中の宇宙を
 それを感じて、感じてゆけば、我々は死にすら打ち勝てるのだ"

 死の向こうを見ていなければ、少なくとも、教皇セージがそれをつかんでいなければ、こんなことは言えない。

 自分がここに生きている理由、使命、信念、大事にすべき価値、それを持っていれば、絶望に屈することが時と労力の無駄であることがわかるだろう。

 本当に絶望的な状況、自由が欠片もない状況で、なお、己を貫くとはどういうことか。

 一人の作曲家について紹介したい。

パーヴェル・チェスノコフ――近代ロシア聖歌作曲家・教会音楽家

 19世紀後半から20世紀前半を生きた、ロシアの作曲家・教会音楽家にパーヴェル・チェスノコフ(1877―1944)がいる。

 ロシア正教会の信徒でもあった。

 彼の名前を初めて知ったのは、今の教会に、同時期に転入会した、声楽家・ロシア聖歌合唱団指揮者の折田真樹さんからであった。

 転入会した日、礼拝後、歓迎の愛餐会の席上、私はバッハとフェデリコ・モンポウのピアノ曲を弾き、それに触発されたらしい彼は、詩編の朗誦の後、ロシア聖歌を一曲アカペラで歌って、教会員の度肝を抜いた。

 彼としては、人々を驚かせる意図はなかったようだが、彼のとてつもない響きと声量の声で、初めてロシア聖歌を聞いた人々がほとんどだったので、結果的にそんなことになってしまったようだ。

 ちなみに、モンポウは20世紀スペインの作曲家である。

 『内なる印象』の1番を弾いたのだが、その内省的な曲調に、折田さんは、ロシア聖歌に流れる精神と近しいものを感じたのかもしれない。

 『内なる印象』はこんな作品である。

 さて、しばらく後に、折田さんの主宰・指揮するロシア聖歌合唱団へと声をかけられ、入れてもらった。

 所属教会の聖歌隊に入って間もない頃で、まだ今ほど、「歌う」ことについての自信がなかった頃だ。

 より正確に言えば、自分で自分を受容している度合いが少なく、どこか緊張と不安を抱えていた頃だったと言うべきかもしれない。

 依存的ではなかったが、自分軸が確立していたとも言えず、キリスト者としての信仰スタイルも確立していなかった。

 それからの、十数年の様々なこととその体当たりで、今は、自分軸が確立し、自分を受け入れ、特に不安や動揺もなく、同調圧力に我関せずといったさわやかな在り方が常態となった。

 入団直後は、神経性疾患を患っていたのと、体力が回復仕切っていなかったので、家から一時間以上かけて練習場所に行くのに、難儀したのを覚えている。

 また、今振り返って言えることだが、折田さんの抱く熱意ほど、自分はロシア聖歌に情熱を抱いているわけではなく、歌えているとも言えない状態だったから、歌う喜びよりも、何とも言えない重荷が勝っていたのを覚えている。

 結局、「休みがちなのは、他のメンバーの士気に関わる」という理由で、退団することとなった。

 最初に声をかけてきておいて、その言い方はちょっとどうなのかとも思ったが(体調があまり良くないことは伝えていた)、どこかホッとする思いもあった。

 批判めいたことは言いたくないが、私が体調的・時間的にやっていけるのかと、どのぐらいの意欲があるのかを最初に確認し、また定期的に確認することをしていれば、こういう形での退団にはならなかったかもしれない。

 ロシア聖歌への折田さんほどの熱意は、私にはなかったが、それは、知った時間が短すぎるゆえの致し方ないことだったので、もう少し、忍耐を持っていただきたかったとも思う。

 また、当時の私は、教会が変わり、聖歌隊に入隊するという環境の変化を経験したばかりだったので、そこにロシア聖歌合唱団入団が加わって、変化に適応できなかったというのもあっただろう。

 いろんなズレが積み重なった上での退団で、折田さんとしても、もしかすると、苦渋の決断だったのかもしれない。

 ご期待に沿えないかったことは、申し訳なかったと今でも思うが、当時の私には、どう頑張っても無理だった。

 とはいえ、全体的には、ロシア聖歌という世界を教えてくれた人ということに、とても感謝している。

 一度、彼の声か演奏を聞けば、容易に忘れがたい人であるのは確かである。


 前置きが長くなったが、ロシア聖歌合唱団に入団し、折田さんが友人の林正人さんと編集した『近代ロシア聖歌集』(恵雅堂出版、2003)という楽譜を使って、練習が始まった。

 チェスノコフの作品をはじめ、シュヴェドフ(1886―1954)、カスタリスキー(1856―1926)、バラキレフ(1837―1910)、チャイコフスキー(1840―1893)、ラフマニノフ(1873―1943)の作品、全12曲が収められている。

 チャイコフスキーやラフマニノフは、ピアノ作品や交響曲・管弦楽曲の方を御存知の方が多いだろう。

 教会音楽(典礼音楽)の作曲にも携わっていたことを、この楽譜で初めて知った。

 むしろ、教会音楽という基盤が、彼らを優れた音楽家にしたというのが精確なのかもしれない。

 ラフマニノフの典礼音楽では、『徹夜祷』がわりと知られているのではないかと思われる。

 さて、チェスノコフについてであるが、『近代ロシア聖歌集』の【作曲者解説】より引用しつつ、彼の歩みを紹介しよう。

 “モスクワ郊外生まれ。聖歌隊指揮者であった父の薫陶を受け、5歳で聖歌隊に入った彼は、当時カスタリスキーが校長をしていた聖宗務院学校に入学、作曲においてスモレンスキーの強い影響を受けた。” (『近代ロシア聖歌集』p,81 以下チェスノコフの経歴については、同ページより引用)

 教会の聖歌隊指揮者というのは、牧師や教会オルガニストと並んで、礼拝において、とても重要な役割を担っている。

 礼拝音楽は、礼拝(典礼)において、言葉による説教と同じか、時にそれ以上に、神の働きを雄弁に伝えるものとなる。

 ゆえに、聖書の詩編はもとより、古代より教会は、歌を歌い、また音楽を奏で、主を賛美してきた。

 聖歌隊は会衆賛美をリードする役割を担うこともあり、ゆえに、その指揮者の重要さが何ほどか、御想像できるだろう。

 チェスノコフは、そんな聖歌隊指揮者の息子として生まれ、5歳で聖歌隊に入隊したという。

 彼の召命は、非常に早い時期に現われていたとも言えるのではあるまいか。


 聖宗務院学校を卒業後の歩みで、さらに音楽家としての研鑽を積んでいく。

 “卒業後も4年間タニェーエフに師事し、表現技術面での研鑽を続けつつ、モスクワ市内で教鞭を執り、また数多くの教会聖歌隊(アマチュア)を熱心に指導した。”

 さらに「優れた作曲家との評価が固まった三十代も半ばを過ぎてモスクワ音楽院に入学、イッポリトフ=イワノフ(1859―1935)に師事して指揮法と作曲法を学んだ」という。

 そして、「1920年にはモスクワ音楽院教授に就任し、死の年まで合唱指揮法を教えると同時に、多くの合唱団の主任指揮者を歴任した」が、1917年のロシア革命で、チェスノコフの運命は暗転する。

 彼自身がカントル(教会音楽の指導者)を務めていた「聖救世主教会聖堂が爆破されたことは一連の悲劇を象徴するもの」であった。

 ソ連時代の政府がいかに教会を敵視し、教会音楽に携わる者にとって、過酷な時代であったかは、『近代ロシア聖歌集』の【曲目解説――ロシア正教会の典礼に即して】にある、次の解説からも、その一端が窺われる。

“ソヴィエト時代には、音楽史における教会の役割を極度に矮小化し、世俗の民謡をロシア音楽の真の源流とする公式イデオロギーが事実上強制されており、教科書をはじめとする専門書・指導書の類からも教会音楽の譜例がほぼ完全に一掃されるという徹底ぶりであった。” (p,82)

 このように自由がほとんどない社会において、自分の信仰的態度を貫き、さらにそれに基づく音楽家としての活動をしていくのは、想像を絶するほど困難なことである。

 “教会を敵視する当局は、朝令暮改の解職処分を繰り返して彼の生活を翻弄した。信仰的態度を貫いた彼は、ついに食糧の配給を受ける権利も剥奪され、パン屋の行列の中で凍死した。戦時下の1944年3月14日のことであった。” (p,81)

 事実上の殉教とも呼べるような、最期であった。

 実際、いつか折田さんから、「チェスノコフの最期は、ほとんど殉教であった」という意味のことを聞いたことがある。

 その彼が詩編第1編に基づく作品を作曲したことを思うと、ソ連時代に比べたら、ぬるま湯の状況下の日本で生活していて、簡単に「絶望」と口にするのは慎むべきではないかとすら、思う。

チェスノコフ作曲「喜べ、悪しき道を歩まぬ者」

 新共同訳旧約聖書より、まず詩編1編を引用する。

"いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず

主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。

その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。

神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。

神に逆らう者は裁きに堪えず/罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。

神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。"

 これが、チェスノコフの「喜べ、悪しき道を歩まぬ者」の教会スラヴ語に対応する訳詞では、こうなっている。

“よろこべ、
悪しき道を歩まぬ者。
主は善き道を知り、
悪しき道は終わらん。ハレルヤ。
畏れつつ主に仕えよ、
御神の前によろこべ。ハレルヤ。
よろこべ、主にあるものよ。ハレルヤ。
救いは主にあり。
汝が民を祝したまえ、主よ。ハレルヤ。
栄光は父と子、聖霊に、
常にとこしなえにあれや。
アーメン。” (『近代ロシア聖歌集』p,93)

 平和な時代に、「よろこべ、悪しき道を歩まぬ者」と言うのは簡単だが、自分の生命も信仰も自由もなくなる状況下で、この道を歩き続けるのがいかに困難なことか。

 だが、そういう人が作った作品だからこそ、時代を超えて、言葉の違う異国の者の魂を穿つのだ。

 合唱メンバーの中央で歌うバスをソロで歌っている人の旋律がメロディーである。

 折田さんの合唱団では、折田さんがこのパートを歌っていたと記憶している。

未来を捨てる者が未来を創る

 著述家・執行草舟の表現を借りれば、チェスノコフの生き様は「武士道に殉じた」と言えるだろう。

 こうした歩みは、自分の幸福や安寧を考え、横並びの善しか見ていないような水平の世においては、狂気の沙汰に見えるかもしれない。

 そんな人には、ヘンリック・シェンケヴィッチが『クォ・ヴァディス』で述べた「もっと大きい、もっと大事な幸福がある」という言葉の意味は、決してわかるまい。

 現代では、もしかすると、クリスチャンでさえ、意味がわからないかもしれない。

 武士道について、執行は『超葉隠論』でこう述べている。

“武士道とは、真実を語り、そしてそれを実行する勇気のことである。自己の人生と命を懸けて、その時代と戦う勇気と気概のことを言っているのだ。人間の魂の崇高のためだけに生きる。そして人間の魂の尊厳を守るためにこそ死ぬ。
 元々人類の歴史は、時代と戦う人間によって切り拓かれて来た。”
(執行草舟『超葉隠論』実業之日本社、2021、p,157)

 そしてこうした人間は未来に期待しないからこそ、未来を創る存在となり得る。

 “不合理や矛盾をぶった斬ることによって、人間の新しい未来が切り拓かれるのだ。未来を創る者は、毎日今日この場で死んでいる。未来などに期待をしない。未来に夢を持つ者は、未来に頼っているのだ。そのような者が、人間の未来を潰す。
 未来を創る者は、未来を捨てている。今の生に、体当たりを喰らわしているのだ。それこそが武士道であり、それこそが人類の未来を創る。” (『超葉隠論』p,159)

 未来を創る者は、絶望に陥っている暇などない。今の生に必死に体当たりをするばかりだ。

 『超葉隠論』の「第二部質疑応答篇 第四章 永久革命論」で、執行は武士道を自分のものとするとはどういうことかについて、こう述べている。

“武士道を本当に自分のものにして生きたい人は、誰がどうであれ、地震が起きようが、感染症が蔓延しようが、もっと言えば隣で誰が死んでいようが関係ない。そのくらい極端に生きないと、すぐに現世に引っ張られます。例えば、徳川家康とか宗教革命のクロムウェルとか革命的なことをこの世で成した人は、やっぱり現世でも強いですよね。現世の一般的に嫌なことがいくらあっても、嫌なこととして捉えていない。見ているのは天だけです。”
(p,324)

 現世に引っ張られない軸があるからこそ、困窮にある者に目を留め、親切を行えるのではないだろうか。

 自分の幸福・救い・未来しか夢見ていない者には、目の前で苦境にあえぐ者すら、目に入らない。

 自分の天をつかめ。全てはそれからだ。



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