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続・大豆田とわ子と三人の元夫と、三人の女と…and more。
「大豆田とわ子と三人の元夫」の最終回を子どもが見ていたので、私ももう一度見た。
前回は、「このドラマは『三人の女』とジェンダーが核だな!」と思ったのですが…
↓↓ 前回書いた記事はこちら ↓↓
今回は、また違う結論が出ました!
※こちらの記事もネタバレしているのでこれから見る人は読まないでください!!
このドラマは、
「『家族』という形の柔らかさ」
についての話だなとおもいました。
とわ子には三人の元夫がいる。そしてその三人は、みんな娘・唄(うた)の「父親」です。血がつながっているのは一人だけど、三人ともいっときは公式にも父だったし、離婚した後もなにかと関わっている。
とわ子の両親は離婚していて、父親は再婚している。とわ子の継母になる。唄にとっては祖母も増えている。
そして、最終回で、とわ子は亡くなった母親の元恋人と会い、そこでまるで母子のような関係を築く。唄、また祖母増えた。
離婚するということは、一般的には「家族が減る」「子どもが寂しい」という事態と思われている。
このドラマのなかでも、とわ子の両親の離婚は、とわ子にとって孤独に陥った経験として描かれている。(離婚前から両親が不仲だったりで孤独ではあったのだけど。)
でも、その子ども世代の唄においては、母や祖父母の離婚が、むしろ家族を増やすことになっている。
たくさんの大人に愛され、見守られる唄が、うらやましいと思う人も多いとおもう。
もちろん唄だって寂しい思いをしているだろう。それに、現実には複雑な関係の大人たちがこんなに仲良くできることはなかなかない、かもしれない。
それでも、こんなふうに増減する家族の形っていいなあ、とおもう。
父親は父親らしく父親の役割を果たし、母親は母親らしく母親の役割を果たし、子は子らしく…という、役割の固定した家族の形は、幸せなようでいてその形を保つために誰かが窮屈な思いをしてたり、無理をしていたりと、どこかにひずみが出ていることが多い。誰かが我慢しなければ、時間が経って環境も人も変わるのに同じ形を保つことなんて、きっとできない。その形を「力を合わせて保つ」という努力は、それはそれで尊いことだし、リスペクトを感じるものではある。
でも… 一枚の家族写真に納められるような「家族の幸せ」ではなく、こんなふうに時間とともにメンバーが変化する、輪郭のあいまいな家族の在り方もまたいい。同じように認められていいとおもう。
家族の形が変化するにしたがって、関係はどんどん豊かになる。
きっとそこに暮らす子どもの視野も、広くなっていくはず。
さらに言うと、かごめは、血縁関係はないけど明らかにとわ子を唯一の家族だと思っている。
死んでしまったけれど、とわ子の、八作のなかにはまだ生きている家族。
死んでしまったからなおさら、いつも近くにいるのかもしれない。そういう形でも、家族は増えることができる。
人が増えればトラブルも増える。幸せと一緒に苦しみも増える。「人間関係が豊かになる」というのはきれいごとだなと自分でもおもってしまう瞬間のほうが、現実のなかでは多い。
でも、
そうやって変化をおそれず人生を豊かにする方向へ、自分も向かっていきたいとおもうし、そういう社会に向かってほしいとおもう。
2回見ても、とわ子はおもしろかった!!
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