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【ブックレビュー】ほんとうの教育をとりもどす

「ほんとうの教育」ってなんじゃ??

なんともまっすぐで高邁なタイトル。「ほんとうの教育」ってなんじゃ?

壮大なタイトルにちょっとちゅうちょしつつ読み始めたけれど、中は実際の教育現場での実践を取材して書かれたルポなので、ふむふむと読み進められた。

著者の主訴は、文科省に決められた学習指導要領どおりで一律の授業をおこない、全国学力テストで画一的に学力を測り(測った気になり)、点数を競う教育への疑義。

もっと、子どもが生き生きと、日々の活動の中から主体的に学ぶことはできないのか?

そのような教育を目指して独自性のある教育を行う試みを、各地で取材している。

「全国学力テスト」不参加を表明した唯一の自治体、愛知県犬山市。

大正時代から続く独自の教育を実践している長野小学校。

・長野小に倣った総合学習を公立小で導入した伊那小。

塾(花まる学習会)の授業を取り入れた公立小、北相木小。

・進学塾(SAPIX)の講師による有料授業を取り入れた杉並区和田中と、花まる学習会を取り入れた佐賀県武雄市(図書館をTSUTAYAの会社に委託したことで有名)。

「総合学習」と、先生たちの苦悩

歳がばれるけど、「総合学習」がはじまったとき、私はもう大人だった。「総合学習」は思想としては正しいけれど、これは先生による技量の差が大きく出るな…と感じたのは、私だけではなかったと思う。

そもそも業務が多すぎる先生たちが、全く自由な授業を一から組み立てて、価値のあるものに仕上げる時間と能力がそろうことなど夢物語なのではないかと…💦

本書に取り上げられた伊那小の「総合学習」は、1977年から行われており、文科省がモデルにしたと言われる。それだけの実績のあるものなのだけれど、著者が取材したのは新米教師の授業だった。組み立てに苦労して、はじめは成功とはいえない授業の生々しい記録が書かれていてとても興味を引かれた。その様子をこうして公開していることに、その学校の教育への覚悟が見えた気がした。

そして、その教師に対する他の先生たちの姿勢に、あれ?と思った。これ、生徒たちに対するのと似てる

一方的に教えるのではなく、自分で考えさせる。考えるための視点を提供するやり方

北相木小や武雄市の小学校でも、塾の授業を取り入れるにあたっての先生たちの「ほんとうにこの授業には意味があるのか」という疑念や、授業時間を削れないなかで導入する苦労なども、共感できてとても興味深かった。そして、自分は乗り気でなくても「子どもが変化しているからには価値があるのだ」と判断できるプロ意識、何とか工夫してよりよい授業をしようと工夫する誠実さに感動する。

ここでもまた、先生たちが教える側でありながら、学んでいる姿が描かれている。「子どもたちも『昨日の自分を超える』ように、私たちも昨日の自分を超える意識をもちはじめています。(中略)どのクラスでも同じことはやっていないと思いますよ。教員それぞれが工夫して、自分たちなりの花まるの時間をつくっています」と、武雄市の教員。

「ほんとうの教育」は、近くにあった。

私たち親は、一回限りの子どもの成長にあたってくれる先生が、「あたり」であってほしいと何となく願っている。「はずれ」であってほしくない、と。そしてそのことを学校側も分かっているから、「弱み」を見せないように、距離をとりたがるところがある。

ここでちょっと思い出した私事。私のママ友が、幼稚園の先生が保護者会で緊張で声が震えていたのを、「情けない」と言った。私自身も人前に出ると声が震えてしまうし、母親たちより若いその先生にはむしろ「がんばれ!」という気持ちで聞いていたので、受け取り方の違いに驚いた。また、小学校に入って、1年生の担任の先生が自分の子どもの入園式に出るために学校を休んだという話を聞いて「信じられない」と言っていた。6年生の時には、担任が新婚の女の先生で、年度途中で産休に入ったとのことで、「新婚の女の人なんて妊娠する可能性高いんだからなんで大事な最終学年の担任にするのか」と怒っていた。

ふだんは何でも話せて楽しい友達なのだけど、先生に関する話でだけは、私と認識が違っていて驚くことが多々。その友人は幼稚園教諭で、お父さんは小学校の校長先生も務めた先生だった。きっと自分やお父さんは私生活を犠牲にしても仕事を優先してきたんだろうな…と思った。それが彼女のプロ意識であり、それは尊いことだけれど、そのまなざしは先生を成長させるものか、委縮させるものかといったら、後者なんではないかと思う。

先生だっていつも成長の途中にいる。親だって、親としてそんなに成熟しているわけじゃない。大人がかんぺきで、子どもに教えてやるっていう姿勢なら、いくら内容が点数偏重がないものだったとしても、おんなじなんじゃないか?

子どもへの教育を通じて、子どもだけでなく、先生も、保護者も、なんだったら近所の人とかそれ以外の大人もみんな、試行錯誤して、一緒に学び、一緒に成長するのが「ほんとうの教育」なんじゃないか。みんなで作らないといけないんだよ。それが、結局著者が言いたかったことなのなのかなー、と思った。

「英語のエデュケーション(Education)を、『教育』と訳してしまったことが間違いの発端だったよね」と、わたしの知人がいった。「Education」の本来の意味は「引き出す」であり、子ども一人ひとりがもっている能力と可能性を引き出すことに重点が置かれなければならない。それを「教育」と訳したように、日本の教育は「教え込む」ことに力が注がれてきた。

「教育」って、引き出すこと。なるほどなあと思った。それは、子どもだけのことではなく、大人同士だってそうだし、学校だけでのことではなく、日常生活や仕事でもいえること。

先生たちへのリスペクトとともに、自分を振り返る機会になりました。






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