見出し画像

小田原の関東大震災② 海に沈んだ根府川駅

先月発生した能登半島地震、そして100年前に発生した関東大震災。
どちらも朔日に起きたという事で何か繋がりがあるのかもしれません。
忘れてはならないのは、今やリゾート地として名高い小田原の地が、100年前、能登半島と同じ災禍を被ったという事です。

関東大震災の鉄道関連で、最も甚大な被害を受けたという根府川駅を訪れました。
新幹線で小田原まで行き、そこからJRに乗り換え、根府川へ。



小田原から早川を経て二つ目の駅が根府川です。
因みに、早川には安土桃山時代、秀吉が北条氏を攻略するために建立した『石垣一夜城』がありますが、駅から徒歩40分という鬼行路のため、今回は断念しました、次回は必ず…

根府川駅に震災慰霊碑があるという事で、まずはそれを探しました。
そして、関東の駅100選に選ばれているんですね!!



ホーム内に掲示してしてあった茨木のり子の詩

無人駅という事でしたが降りる人は結構いました。何でもアニメの舞台になったり、初日の出を見に訪れる客もいるとか。

慰霊碑、改札前にひっそりありました。関東大震災の被害にあったという史実を知らなければ、ふつうにスルーしそうです…


そして、こちらが駅舎です。


根府川駅が完成したのは、1922(大正11)年、12月22日の事。
その約半年後、1923年9月1日に発生した関東大震災で発生した土砂崩れにより、この駅舎と真鶴(次駅)方面へ走っていた汽車は相模湾へ転落しました。
この時の乗客は約150名、内、死者は約110名という被害の凄まじさでした。
尚、この時乗車していた機関手と車掌は奇跡的に一命を取り留めました。
職員である彼らは、震災直後の混乱にも関わらず、小田原へ事故を報告するまで、早川までの約4.4キロの道を夜通し歩いたという事です。

昨年訪れた小田原郷土資料館に、根府川や早川に関する資料も展示されていました。


根府川の惨状を描いた絵


早川の河川で行われた青空教室

小田原駅の汽車も相当な被害に遭いました…


相模湾に沈んだ汽車が引き揚げられたのは1934(昭和9)年9月23日の事。
実に震災発生から11年経っていました。
その時引き揚げられた汽車のプレートも展示されていました。


尚、震災時に同じく相模湾に転落した一番ホームは未だ海中に没したままです…
今や、ダイバーでしか、それを見る事ができません。

駅の近くの白糸川に震災を生き抜いた釈迦堂があるというので、そこも訪ねてきました。
今の季節は時期的に中途半端ですが、春になると駅一体は、とても美しい場所になると思います。








改めてご冥福をお祈りいたします…



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?