優しさの形

先ほど
noteでこんな記事を
見ました。

Panasonicとnoteが開催した
“やさしさにふれて”
の投稿結果の記事の一つです。

おばあちゃんに席を譲った若い(と思われる)男性。
そのおばあちゃんの眼鏡をたまたま踏んでしまった
30代ぐらいの男性。

この記事を書かれた男性。
やさしい方だと
思いました。

でも
この記事を書かれた方は
予期せぬことで
おばあちゃんの眼鏡が
壊れてしまう、
という状況に直面された。

結局、
その状況は
そのおばあちゃんの眼鏡を
これまた
たまたま踏んで
壊してしまった
30代ぐらいの男性が弁償して
収まった。

この記事を
書かれた方は

◆自分がそのおばあちゃんに
 席を譲ったことが原因で
 その女性の眼鏡が壊れ、
 見ず知らずの30代ぐらいの
 男性が弁償することになった。
◆自分はあの時、
 そのおばあちゃんに
 席を譲ろうと
 しなければ
 こんなことには
 ならなかった。

と思って
いらっしゃいました。

確かに

◆ あの時、
 そのおばあちゃんに
 席を譲ろうと
 しなければ
 こんなことには
 ならなかった。

でも、
私は
この記事を書かれた方に
こうお伝えしたい。

◆あなたは
 自分が取られた行為について
 自分を責めることはない
 と思います。
◆あなたのとった行為は
 相手に対して
 よかれと思ってとった行為だから。
◆電車が揺れて
 たまたま
 そのおばあちゃんの眼鏡を踏んでしまい、
 弁償を申し出た
 30代の男性にしてみれば
 突然の出費に
 頭にきたことでしょう。
◆でも、
 その30代の男性は
 そのことについて
 あなたを責めなかった。
◆それは
 その方が
 あなたのとった行為を
 近くで見ていて
 あなたのとった行為に
 共感されたからだと
 思います。
◆世の中
 すてたもんじゃない。
 世の中、
 そういった方が
 いらっしゃる、
 と思って
 これまで通り
 あなたは
 あなたのままで
 いていいと思います。

相手に対する
“思いやり”(本人はそう思っていない)
は時として
◆仇になる
と私も思います。

でも
それで
自分を責めることはない
と思います。

#優しさの形







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