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肩書きと中身について

社会人20年近くやってると、10年、15年ぶりの再会というのも増えてくる。

久しぶりだねー!と感慨深い思いだが、みんな意外と変わってない。「あとFacebookで顔を見てるので久しぶりに会った気がしないね」というフレーズが必ず出るので、そろそろこのフレーズの短縮版が欲しい。

起業家精神が旺盛な環境にいたせいか、昔の仲間は少なくない割合で社長という肩書を持っている。社長でなくても、取締役、CXO、部長、という肩書きを40前後くらいでみんな持っている。そういう名刺を見るたびにみんな大人になったなぁ、と思う。

もっとも、「肩書きなんてたいした意味がない」という事は肩書きを持った人は感じていることだと思う。自分も社長になるなんて全く思わなかったのに、やりたいことをやっていたら社長になってしまった。中身はタダの兄ちゃんなのに。

社長になって何かがすごくなったかというと、別にすごくない。社長になるのは簡単で、誰でも1円で会社を創れば社長になれる。社長であり続けるのはそれなりに大変なこともあると思うけど。

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それでも、人間は「肩書き」からかなり影響を受ける。

若いころ、「代表取締役」とか「部長」とか肩書きについている人たちは、とんでもなくスゴイ人たちだと思っていた。クライアントMTGでそういう肩書の人が出てくるだけで、アポで名刺交換するとカチコチになっている自分がいた。

自社の取締役の人にメールしたり話しかけたりするのはとても緊張した。でも今思えば、当時の社長や役員の皆さんも、ある意味で中身はタダの兄ちゃんだったんだと思う。「おまえそんなに緊張しなくてもいいぜ?」って思っていたんだと思う。それでも、上から見る景色と下から見る景色は違う。下から見るとやっぱり肩書のついた人たちは雲の上の人たちだ。

肩書きを持ってしまうと、こうした気づかない肩書きパワーを忘れがちなので気を付けないといけないなと思う。特にタイとかインドとかのアジア諸国は日本より階級社会なので、知らない間にパワーが出ている。良くも悪くも。

自分はとてもアプローチャブル(親しみやすい)上司のつもりでいても、部下は物凄く距離を感じていたという経験はこの数年間で何度かあった。「肩書きパワー×忙しくて接触頻度が減る×ストレスで表情が固くなる」の掛け算で、自分が知らないうちに「近寄りづらい上司」の他者認知が出来上がってしまう。気を付けないといけない、といつも思う。

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一方で、「肩書に中身を合わせて行く」という大事さも感じる。

部下が「うちの社長を連れていきます」みたいな感じでアポを入れてくれることがあると、お客さんも「社長が来る」と思って待っている。それらしい振る舞いで行かないと、お客さんや部下をがっかりさせてしまう。社長なんだから、社長らしい立ち居振る舞いや身なりをすることも、できないよりは出来たほうが良い。

でも肩書きに自分をあわせて行くのって、結構苦痛だ。人間、中身はそんなに変わらないし、人はできればいつまでも若いままでいたいものだから。

ちょっと違うかもしれないけど、音楽の趣味とかファッションとかを見てても似たようなことを感じる。高校生の頃からミスチルが好きな自分は、未だにミスチルを歌う。40歳になったからいきなり堀内孝雄とかを歌うわけではない。大学の時に氷室が好きだった人は、40になっても革パンをはいてたりする。(この例えが適切かどうかは全然わからない笑)

カラオケの選曲はどうでも良いとしても、肩書きに合わせた話題とか、趣味は持てたほうが良いなぁとか思ったりもする。そういうの苦手であることは自認しつつも。年を取り、社会に対して責任ある立場になっていくというのはそういうことでもあるのかもしれない。

・・・という、今日はどうでも良い内省です。



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