【終活110番038】本当に一切ノーなのか ~延命治療の判断基準~

延命治療には、大きく3つの措置があります。人工栄養・人工透析・人工呼吸の3つです。人生を生きていくうえで、運悪く延命治療を受け入れるかどうかジャッジしなければならない局面に出くわす場合があります。積極的に考えたくないテーマかもしれませんが、家族のためにも、基本的な方針を決めておくことはとても重要です。

というも、いざその時に、本人が意思決定したり、意思を伝えたりすることができないと、医者からのオファーに対して、家族が決断して希望を伝えなければならないからです。そして、こうした究極の選択においては、結果としてどちらが正解かがわからないため、患者本人が亡くなった後々まで、家族が心痛を抱えてしまうことが多々あるからです。

今日、最期の瞬間を病院で迎える人が9割です。ということは、かなりの確率で延命治療に係る決断を求められることになります。後に残る家族のためにも、自分の価値観を決めて家族と共有しておくことが理想です。

また、こうした議論を深めることは、家族間のこころの距離を縮めることにもつながります。これはお互いを理解しあう作業なのです。親の側からでも、子の側からでも構いません。意識的に延命治療というテーマで会話する機会を作ってみてはいかがでしょうか。

一般的に延命治療というと、自力で呼吸できない人を機械装置につないで酸素を送り込む…。そんなイメージをされる人が多いと思います。でも実際には、必要な栄養を取り込むための人工栄養と、不要なモノを外に出す人工透析に対するスタンスを決めておくほうが実際的です。というのも、人工呼吸(脳死や植物状態に対する延命)よりもはるかに決断がむずかしいからです。

ちょっとイメージしてみてください。脳腫瘍の手術後、嚥下機能が芳しくないという結果が出たとします。医者は、「カラダに栄養を摂取させることをせずに生命を終わらせる」か「人工的に栄養を摂取させて生き永らえさせるか」を決めてほしいと言ってきました。

そう。人工栄養のケースです。要は、自分の口からモノを摂れなくなってしまったときに、チューブ管を使って機械的に栄養をカラダに送り込む施術を受け入れるかどうか…ということです。人工栄養には、大きく3つの方法があります。これを理解しておいたほうが、イエス・ノーを決める上で望ましいでしょう。その上で、さて、あなたはどの方法を選びますか?

まず、多くの人たちが「あれだけは絶対にイやだ」という胃ろう。内視鏡を使って胃に小さな穴をあけてチューブを挿入し、そこから胃に直接、栄養や水分を送り込む方法です。人工栄養でもっとも選択されることが多いのが胃ろうですが、その理由は、カラダにとって安全でリスクが少ないためです。管が繋がれるのは栄養を入れている時間のみなので、その他の時間帯は管のことを気にする必要がありません。また、胃ろう用の管の交換は概ね半年に一度です。胃ろうの管を抜くときには軽い痛みがあるものの、交換自体はとても簡単で患者の負担もすくないのです。食べる機能が回復すれば胃ろうを止めて、口から食べることができるようにもなります。ただし、胃ろうは、胃を切除している患者には使用できません。「食道ろう」や「腸ろう」という方法もありますが、食道ろうには逆流リスクがあります。腸ろうは手術を伴い、腸閉塞リスクも高いため、退院後に受け入れてくれる施設を探すのも困難です。

つぎに、経鼻経管栄養。鼻から管を通して栄養剤を注入します。鼻から胃にかけて常に管を挿入された状態であるため、絶えず違和感があると思います。認知症でなくても、気にして触ってしまったり、誤って管を抜いてしまったりすることがよくあります。その場合は、抑制(両手をベッド柵に拘束)される可能性があります。また、見た目がよくないため、家族や見舞い客としてもとてもつらい思いをすることになります。経鼻経管栄養は約2週間ごとに管の交換を要します。その交換作業は、患者にとってはかなりの苦痛を伴います。また、誤って肺に管が入っていないか確認するためのレントゲン撮影も行われため、相当ストレすのたまる施術だと思います。

さいごに、中心静脈栄養。これは、鎖骨下の中心静脈に管を埋め込み、高カロリーの輸液を入れる方法です。ずっと点滴につながれている状態なので、寝返りなどの小さな動きから、車椅子への移乗、歩行、トイレ動作など日常的な動きをする時にも、管が気になるため、相当なストレスになります。また、認知症の場合、自分で管を引っ張って針を抜いてしまうリスクがあるため、経鼻栄養と同様、抑制される可能性もあります。また、中心静脈栄養は合併症リスクが高いため、医者や看護師による厳重な管理が必要となります。看護師が24時間常駐していない施設では受け入れてもらえません。

そしてもうひとつ。それは、何もしないという選択です。自然の摂理に則って、1週間から10日程度で枯れるように最期を迎えることになります。

続いて、人工透析の話です。私たちの腎臓には、飲食することでカラダに溜まった余分な水分や塩分、老廃物を尿として排泄してくれる役割があります。腎不全によって腎機能が損なわれると尿毒症などで生命を落としかねないため、腎臓に代わってその役割を果たしてくれる治療法が必要になってきます。腎移植以外では、人工透析が唯一の方法となります。ただし、透析は腎臓の機能を回復させる治療法ではなく、途中で腎移植を受けない限りは、死ぬまでずっと続けなければなりません。

人工透析には、機械に血液を通してきれいにする「血液透析」と、患者自身の腹膜を利用して血液をきれいにする「腹膜透析」の2つの方法があります。腹膜透析は、患者さん自身の腹膜を使って、体内で血液をきれいにする治療法です。

血液透析は、血液を血管からカラダの外に取り出し、ダイアライザーと呼ばれる透析器(人工膜)を介して余分な水分や老廃物を取り除き、必要な物質を補充して、きれいになった血液を再び体内に戻します。通院は週3日程度で、治療時間は1回あたり5時間程度です。

血液透析を行うには、速いスピードで血液を血管から取り出す必要があるため、手首近くの血管を手術して、十分な血液流量を得るために新しい“血液の通り路” (シャント、バスキュラーアクセス)をつくり、そこから血液を取り出します。そして、ダイアライザーという機械を通過させてきれいにした上で再び体内に戻します。血管の出入り口を「バスキュラー(血管)アクセス」と呼びます。

血液透析の長所は、対応できる病院や施設が多い点です。また、腹膜透析よりも毒素を十分に取り除けるとも言われています。透析を行っている間以外は自由に行動することができ、国内外に出張や旅行をすることも可能です。ただし、出張先や旅行先に血液透析を行える病院や施設があることが前提になります。

一方、血液透析の短所は、あらかじめ決められた時間と場所でしか治療を受けられないということです。日常生活の中に制限を感じてしまうことは仕方のないことです。また、1回の透析で2、3日分の毒素や水分を抜くので、体内をめぐる血液の量が増加して、心臓などに大きな負担をかけることになります。さらに、透析を行うたびに血を出すための針を刺さなければならず、その痛みに耐えないといけません。

腹膜透析は、患者さん自身の腹膜を使って、体内で血液をきれいにする治療法です。腹膜透析では、透析液を出し入れするため、お腹に直径5~6ミリほどの専用のチューブ(カテーテルと呼びます)を埋め込みます。この手術には1時間ほどかかり、おへその下あたりからカテーテルを埋め込みます。また、カテーテルの端はからだの外に出しておく必要があります。このカテーテルの出口部は細菌による感染症を起こしやすいため、患者自身の自己管理が大切です。出口部とその周辺を1日1回以上確認し、感染予防のために消毒や洗浄によるケアを行います。

お腹の中に透析液を一定時間入れておくと、腹膜を介して血液中の余分な水分や老廃物が透析液側に移動します。その透析液をカラダの外に出すことで血液をきれいにします。透析液の交換は、1日4回程度、患者自身や介護者が自宅や職場で行います。機械を用いて睡眠中に自動的に透析液を交換する方法もあります。通院は通常、月に1~2回で済みます。

腹膜透析の最大のメリットは、自由度が高いことです。特に高齢者では、一日2~3回の少ない透析液交換で済む場合も多く、自己管理能力があれば高齢者でも自分で行うことができます。また、血液透析に比べると心臓への負担が少なく、腎臓の残存機能を温存しやすいというメリットがあります。その一方で、常に清潔に保っていないと合併症として腹膜炎を発症するため、自己管理能力が要求されること。
また、生体膜である腹膜を用いて透析を行うため、腹膜の機能が徐々に低下することによって、透析効率が落ちてしまうことが短所と言えるでしょう。

こうしたことを理解した上で、もしも自分に人工栄養や人工透析が必要となった時にどうするのかを考えておきたいところです。その時の判断基準は、以下の3つだと思います。

●年齢
●回復の見込み
●意識の有無

例えば、意識がしっかりしていて意思疎通もできているとします。でも、残念ながら嚥下障害があり、リハビリをしても回復の可能性はない。このケースで、本当に、「延命治療は断固拒否」だからといって、人工栄養を本当に拒絶するのでしょうか。自分の口から食事は摂取できないものの、コミュニケーションも取れるし、家族の顔も名前もわかるわけです。それでも胃ろうは絶対にイヤだと言い通して、数週間後に息を引き取る道を選ぶのでしょうか。食べることだけを絶対的な価値観としていれば話は別ですが、そんな人はごく少数派だと思います。

あるいは、意識もあって、食事も自分の口で摂れるとします。でも、慢性腎不全により腎機能が低下して老廃物を自力で排泄することができない。このままでは、尿毒症で命を落としてしまう。そんな時、本当に人工透析を拒むのでしょうか。

また、心筋梗塞の発作を起こし、心肺停止状態となった母親に対して、本人が元気なときに「一切の延命治療を望まない」と言っていたからといって、果たして子どもは「心臓マッサージはしなくていいです」と言い切ることができるでしょうか。

その時点での年齢にもよるでしょう。60歳だったら?80歳だったら?100歳だったとしたら?年齢によっては、「もう自然のままに寿命を全うすればいいじゃないか」ということもあるでしょう。延命治療回避派であっても考え直す場合があるはずです。

ここまで踏み込んで具体的な場面をイメージした上で、延命治療に対するスタンスを決めておきたいところです。元気なうちは、なかなか判断がむずかしいかもしれません。でも、高齢になればなるほど、それが現実となる確率が高まるし、判断能力やコミュニケーション能力が低下しているかもしれないのです。だからこそ、考え検討するのは今しかないのです。家族で、親子で、あるいは友人たちと、そんな議論を交わす機会を持つことも、とても大切な終活のひとつだと思うのです。

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