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【百寿コンシェルジュ・神崎眞のエピソードファイル】哀しみの終わる時(5)

みなとみらいにある神崎のオフィスを出ると、目の前に大きな観覧車が飛び込んできた。杉本は両手を天に突き上げて、大きく伸びをした。思い切って訪ねてみて良かったと思った。何かこう、心が軽くなったような気がしてきたから不思議である。

神崎と別れる前に、週末の土曜に、早速、母と神崎を引き合わせることを決めた。横浜のデパートのフルーツパーラーで、偶然を装い、バッタリ出会うのだ。ちょうどその日の午後、神崎の会社主催でシニア向けの終活セミナーがあるという。神崎がふたりに是非とも参加してほしいと誘うという流れである。神崎のシナリオに乗っかることを決心した今、杉本はこの数か月間、胸の中に溜め込んでいた真っ黒い闇が、いくぶん薄らいできたように感じるのだった。


さて、終活セミナー当日・・・。

「あれっ? 杉本じゃないか!」

約束のパーラーで母と早めのランチをしているところに、あらかじめ打ち合わせていた時間きっかりに神崎が現れた。

「あっ、神崎」

予想外に演技派の神崎につられるように、杉本も返事をする。

「こちらは、奥さん?」

神崎がニコニコしながら母親のほうを見た。

「えっ!そんな、まさか。おふくろだよ」
「だろうと思った。はじめまして。大学のときから杉本君にお世話になってます、神崎といいます」
「おふくろに話したことなかったかな? 彼とはゼミが一緒でね」

母親が口元をナフキンで拭いながら答える。

「はあ、武史がいつもお世話になりまして」
「あっ、いいえ。お世話になったのはこっちのほうで。でも、親子ふたりで食事なんて、杉本君はお母さん孝行なんですね。私も少し見習わないとダメだな」

神崎はかなりのなりきりようで会話を繋ぐ。

「そうだ。実は俺、言ったかな。医療関係のコンサルやっててね。今日は午後から、このデパートの7階で老い支度のセミナーやるんだよね」
「へぇ~。老い支度ねぇ」
「お母さん、もしお時間あったら、杉本君と一緒に来てください。90分程度ですが、医者の話とか、あと、私もちょっと話しますので。何かのお役には立つかもしれません」

そう言うと、神崎はチラシを2枚置いて去って行った。客観的に考えれば、カフェに入ってきて、たまたま出会った友人とおしゃべりだけして、何も飲み食いせずに店を出て行ったわけだから不自然極まりない。しかし、杉本の母親はまったく不可解とは感じていないようだった。杉本は今のやりとりを思い出しながら笑いそうになるのを必死で堪えながら、母との会話を再開した。

首尾よく母親を連れだって、神崎のセミナーに参加する運びとなった。シニアのための健康アカデミーと銘打たれたイベントで、医者による「シニア女性にありがちな8つの症状」と、神崎の「円滑な老後を阻む4つの壁」。他に、簡単なクイズとボケ予防体操で90分。30名近いシニアが熱心に聴き入っていた。

帰り際にアンケート用紙を置いていくのだが、杉本は母親の記入した内容を見てびっくりした。「最近、気になる症状があるか」という問いに対して、「もの忘れ」の欄にチェックをしていたからだ。神崎も目ざとくそれに気づいたようで、

「お母さん、今回は無理にお願いしてしまって申し訳ありませんでした。参加していただいて助かりました。内容はいかがでしたか?」

杉本は注意深く母親の反応を観察した。するとどうだろう。もっともらしく対応するではないか。

「とっても勉強になりました。あなたのお話はとってもわかりやすくって、お医者さんの話よりも良かったですよ、本当に」
「いやあ、そんなに言っていただくと恐縮しちゃいます。でも、アンケートのここのところ。チェックしていただいてますけど、心配ですね」
「ええ。もう歳ですからねぇ、いろんなことをすぐ忘れちゃうんですよ。認知症のお話も出てきましたけどねぇ、あんなふうになっちゃったらねぇ、さすがに困りますものねぇ」

杉本は自分の母親の知らない側面を見ているような気がして驚いていた。

「ですよねぇ。やっぱり少しでも自覚があるようであれば、転ばぬ先の杖なんですよね。大体のみなさんが、はじめの一歩で対応が遅れてしまうんですよねぇ」
「そうなんですか? いやですねぇ~、どうしましょう。うちもこの子だけなものですからねぇ、心配や面倒をかけたくないって、もうそれだけをね、考えてはいるんですけどねぇ」

杉本は、思わぬ展開に神崎を見た。

「実は私、認知症の学習療法士という資格を持ってましてね、認知症予防のお手伝いとかもやってるんですよ。杉本君のお母さんだったら、いつでも声かけてください。どんなことをすれば予防に有効なのかお話に伺うこともやぶさかではないですから」
「あら、まぁ、どうしましょう。ありがとうございます。是非、うちのほうへも遊びに寄ってやってください。お話を聞けたらうれしいわぁ」
「ありがとうございます。杉本君とも、また今度、飲みに行こうって話しているところなんで、近々お邪魔させていただきますので」
「はいはい、是非どうぞ。武史のお友だちなんて何年ぶりかしらねぇ。もう大歓迎ですから」

杉本は、自分のほうを見やりながら流暢に受け答えする母が信じられずにいた。こんな社交的な面があったのか。そして、こんなにもスムーズに、神崎のアプローチがうまくいってしまうことが、なにかドラマでも観ているような、キツネにでもつままれたような不思議な感覚で、苦笑いするしかできなかった。

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