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【百寿コンシェルジュ・神崎眞のエピソードファイル】父返る(7)

かくして、年明けから、父がショートステイやデイサービスを利用している間を縫って、母と首都圏の施設めぐりが始まった。

神崎がピックアップしてくれた物件は6つ。ただ、結果は芳しくなかった。同行してくれた神崎が、現地の責任者やスタッフにいろいろな観点から質問をしてくれたのだが、その応対ぶりから判断するに、どうも神崎の目には決定打がなかったようだつた。認知症への対応、夜間緊急時の医療サポートという、響介たちがもっとも重視していた部分で納得できる答えがどこにも見つからなかったのだ。

他にも、費用の明細が不明確、契約関連書類の稚拙さ、職員たちが醸し出すムード、そしてそこで生活している人たちの様子・・・。様々な観点から、「何かしらの縁で自分に相談してきてくれたクライアントに対して、入所を薦めてもよさそうだなと納得できる物件はなかった」と、そう神崎は話してくれた。そして、その評価は、かなりの点で、響介の母が感じたものと合致していたのだった。

響介が驚いたのは、「重度の認知症でも大丈夫。安心してご入居いただけます」とパンフレットに大きく記載してあるにもかかわらず、「状況により、退去願うこともある」と説明する物件がほとんどだということだ。こちらとしては父親の終のすみかを探しているつもりでも、あちらは必ずしも終のすみかを提供しているという意識はないのかもしれない。

休日や夜間の緊急時対応にしても、夜中に何かあったら、どんな立場の誰が、具体的にどこまでのことをやってくれるのか。然るべき立場の職員であっても回答が心もとなかったり、同じ施設の職員でも説明が異なったり・・・といった具合いなのだ。提携医療機関の名前をパンフレット上に記載してあるにもかかわらず、具体的な提携の中身については、誰ひとり的を得た答えを返してはくれなかった。

帰りに入った喫茶店で、神崎が改めて教えてくれたのは、「料金とサービスの質に相関関係はない。高く払ったからといって、医療や介護の品質が良くて安心などということはない。特に認知症の場合、その傾向が強い」ということだった。

それと、「提携や連携という言葉の曖昧さ」である。こうした言葉から入居者側がイメージするものと、実際の中身には、かなりの開きがあるということ。パンフレットには、クリニックと連携しているから大丈夫と載せておきながら、クリニックの診療時間外に何かがあったら救急車を呼んでくれるだけとか、連携先に入院ベッドはなかったりとか、連携先の診療科目以外については家族で対応してくれとか…。

親を住まわせる家族の側からすると、そんな程度だったら「連携」とは言えないのではないか…と思えるようなことが多いのだ。要するに、家族の手間や不安は、自宅で介護している場合と、あんまり変わらないじゃないかと思えてしまうことすらあるのだった。

響介はつくづく思うのだった。入居する側からしたら人生最後の大きな買物だ。ここらへんを曖昧にしたまま契約なんかしたら大変なことになると。

別れ際、神崎が笑顔で言った。

「お母さん、今日はお疲れさまでした。でも、今日までで、お父さまが住まう場所はどのようなところがいいのか、大体イメージがついたのではないですか? 週末の湯河原と小田原の物件は、私自身も期待しているところです。楽しみにしていてください」

「神崎さん、本当にありがとうございます。私たちだけだったらどうなったことか。でも、おかげさまで、自分の時にも勉強になります。意外と楽しいものですね、こういう遠足も」

そう言ってフフフと笑った母の表情が、響介にはなぜか若々しく感じられた。

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