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【百寿コンシェルジュ・神崎眞のエピソードファイル】父返る(5)

響介は、昨夜、特集記事を読みながら考えてきたことを神崎に伝える。

「予算的には、できれば込みこみで20万円までで抑えられると助かります。場所は、首都圏で最寄駅から徒歩で行ける範囲であること。他には…、いろいろと考えたのですが、やはり、何かあったときに医者がすぐに駆けつけてくれるところであってほしい。それくらいでしょうか。欲を言ったらキリがありませんからね」
「ありがとうございます。そこまでしぼりこんでいただけると、こちらとしては探しやすいです、はい」

神崎の言葉に耳を傾けながら、響介は考える。こちらを包み込んでしまうような、大らかで温かな雰囲気。何とも言えない安心感。この人当たりの良さはなんなのだろう。

「いままでのお話を伺って、私の思うところをお話してもよろしいですかねぇ?」

響介は、是非にと頭を下げた。

「まず、夜間せん妄の話が気になりました。戦争末期にシベリアで捕虜経験がおありなんですよねぇ。きっと、そのときにつらいご経験をされたのだと思います。今のお住まいは、どのようなところですか?」
「京王線はご存知でしょうか…。聖蹟桜ヶ丘という駅があるんですが…」
「ああ、知ってます。いまはデパートとかもできて、賑やかになってますよね」
「そうです、そうです。ただ、うちの実家は丘の上で、駅に下りるのも大変で。古い分譲団地なので、ご近所も高齢の人ばかりで、みんなヒーヒー言ってますね」
「あの、たしか、昔は京王帝都電鉄の社長が住んでいたとか。それだけの理由で特急が停車するって、都市伝説みたいな話を聞いたことがありますね」
「たしか、そんなの、ありましたね。子どもの頃、私も聞いた記憶があります」
「高台だと、冬場はかなり冷えたりしますか?」
「そう言えば、母はいつも言ってます。家自体も木造で老朽化しているので、冬場はすきま風が入ってきて、なかなか暖房が効かないって」
「なるほど。」
「もう築40年以上だと思います」

神崎はしばらく窓の外を眺めていたが、やがて響介のほうをまっすぐに見つめた。

「あのう、ご承知のとおり、私は医者でも何でもないのですが、これまでに関わったケースから考えて、気になっていることがあるんです」
「なんでしょうか?」
「あくまでも私の持論なのですが、問題行動を伴う認知症の方には、それぞれ特徴的な症状があるように思うんです。よくある例として、モノ盗られ妄想。これは過去にお金に絡んだつらい経験があることが多い。それから暴力。これはやはり戦時中の体験というのが大きなトラウマになっているのだと感じています。そして、お父さまの場合、その舞台がシベリヤだということ。あの極限的な寒さです。当然、寒い時期に、シベリヤであったつらい出来事がフラッシュバックするのは当然のことだと思うんですよね」

響介は、子どもの頃に父から聞かされた戦争中の話を思い出していた。神崎の話は続く。

「つまり、せん妄の症状は、温暖な生活環境によって頻度を減らすことができるのではないかと。そもそも高齢の方は、とくに痩せてらっしゃる方の場合、暖かいところで生活すると体調がよくなります。認知症の方であっても、問題行動が緩和したり、なくなったり。そんなケースを多々見てきました。それに、そもそも、寒いよりは暖かいところのほうが平均寿命も長いわけですからね。

つぎにもう一点。お父さまはお酒が原因で何度も入退院を繰り返してらっしゃるので、やはり、身近に手厚い医療が備わっているほうがいいでしょう。
さらに…」

神崎が沈黙し、響介は怪訝そうに神崎を覗きこんだ。ゆっくりと神崎が先を続ける。

「お母さまのお父さまに対する気持ち、親類ご近所に対する意識を考えると、少し、物理的な距離も離してみてはいかがかなと・・・」

響介は、神崎がまったく予期していなかったことを口にしたので、自然と首をかしげることになった・・・。

「たぶん、すぐに会いに行ける場所にお父さまがいたとしたら、頻繁にお見舞いに行くでしょうね」
「ええ。たぶん」
「家に居ても、昔のようにお友だちと買物に出かけても、きっと、絶えず意識の中にお父さまがいると思うんですよね」
「・・・」
「たしかにお母さまにとってつらいことかもしれませんが、身体的なことのみならず、精神的な部分でもお父さまと距離を置いたほうが、本当の意味でお母さまが健康な状態に戻るような気がするんです」
「つまり…、単にどこかに入居させるというだけでなく、地理的にも母を父から引き離せと?」

そう訊きながら、響介は自然と首をかしげることになった。神崎の口から予期せぬ言葉が出てきたからである。

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