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【百寿コンシェルジュ・神崎眞のエピソードファイル】認知症介護の迷宮(8)

帰りの車のなか。話題はもっぱら、さっきのことだった。
                                 「あれって、やはり入所者に批判的なことをしゃべられたくないからなんですかねぇ」
「そうとしか考えられないわよね。あれだけで、自分の親を入れようとは思わなくなりますよね」
「まったくです」

和彦と悠子は相当がっかりしたようだった。そんなふたりをなだめるように神崎が言う。

「だから、現地を見ておく必要があるんですよね。大手企業が経営しているというだけで、パンフレットやホームページの美辞麗句だけを信じきってしまう人たちが後を絶たないんですよ。過度の期待をさせてしまうんですよね。ダマす、というのとはちょっと意味合いがちがうのですが…。やはり、物件側としては、具体的に質問をされない限りは、あえて不利益になるような話はしてきませんからね。でも、急を迫られて焦って探そうとすれば、入居者側もなかなか本質を見抜けないというのが実際のところでしょうねぇ。その結果、結構バラ色の未来を描いて入ってしまう方も多いのですが…。結果としては、契約して親を入れてしまってから、こんなはずじゃなかったと後悔するケースが多いですね」

和彦と悠子は顔を見合わせながら聞き入っていた。

「しかし、正直、おふくろがああいうところに入って暮らしているイメージがまったく湧かなかったですね」
「そうお感じになられた最大の要因は何だったでしょうか?」
和彦はちょっと考えてから口を開いた。
「うちのおふくろも大声を出したりしますけど、もっと症状の重たい人たちがかなり居たようでした。ああいう中におふくろを放りこむというのがちょっと…」
「わかります。お母さまがどんどん悪くなってしまいそうに思われるんじゃないですか? ああいう環境で暮らしていくと」
「ええ。そうですね。あれだったら、まだ病院にいたほうが救われるかなと」

「奥様はどう思われますか?」
「やっぱりグループホームのほうが生活する場所っていう感じがあって良かったですね。老人ホームのほうは、何かこう機械的に流されていくような感じがして、何か哀しい気分になってきました」
「だよな。老人ホームっていうのは、みんなあんな感じなんでしょうかねぇ?」
「もちろんピンキリですが、むずかしいのは、金額的に高いからといってサービスがいいわけではないということです。経営母体が大企業だからいいというものでもない」
「たしかに、大企業がやっている施設の不祥事が頻繁に報道されてますもんねぇ」

悠子は運転しながら、バックミラー越しに夫と神崎のやりとりを覗いている。

「金額が高い物件というのは、たしかにハードウェアは豪華な感じがすることは多いですね。でも、ソフトウェアには相関関係がまったくない。そう考えたほうがいいですね」
「しかし、それって」
そこまで言って和彦は手を叩いた。
「要は、ハードウェア、つまり、建築費にお金がかかっているにすぎないと」
「だと思います。いくら毎月高いお金を払っても、現地で働いている職員の人件費として使われることはないんですよね」
「なるほど、なるほど」
「それと、介護業界というのは相対的に賃金が低くて、離職率がとても高いんです。大手が資本力にモノをいわせてどんどん拠点を増やしても、いい人材を確保することがとてもむずかしいんです。休日や夜間になると、エエ~っと叫びたくなるような職員だっていますからね」
「はぁ~。そういうことかぁ」
「ですから、とりあえずご主人の希望条件に合致する物件をピックアップしたわけですが、やはり実際にご自分の五感で確かめることが大切です。それと…」

そこまで言って神崎が口をつぐみ、和彦と悠子は同時に神崎の顔を見た。神崎が再び口を開くのを待つ。

「そもそも、あまり期待しないことですね。現地見学で相談員に好感を持ったとしても、実際にお母さまがそこで暮らしてみると、まずまちがいなくその相談員はそこにはいないのです。他の職員にしても、あの人、感じいいわね…と思った職員がすぐに辞めてしまったりする。
だから、本当に期待しないほうがいいんです。極端な話、雨風が凌げて、食事とお風呂がついている。で、まぁ、質はともかく、24時間だれかは居てくれる。自宅で介護するよりは家族も救われる…。ちょっとイヤな話ですが、そう割り切って考えるようにしないと、後々、心苦しくなってしまう確率が高いというのが実態なのです」
「・・・」

夫婦は沈黙した。自分たちの生活のために母親にがまんを強いるしかないということなのか…。そんな気分に襲われたからだ。

「なので、老人ホームもまだ候補は残っていますが、私的には、グループホームか老人保健施設の可能性が高いのかなとは考えています。しかし、最終的に判断するのはおふたりですからね。こうやって現地で物件の実際を見て回ることは決して無駄ではないと思いますよ。

そりゃあ満点かどうかはわかりませんが、お母さまに少しでもベターな行き先を探して差しあげようと、おふたりで時間とお金をかけて動いているわけですからね。こうやってお母さまのためにかける時間と手間。このプロセスがいつかきっとお母さまにも伝わると、私は思っているんです。

だから、少なくとも5つ6つくらいは現地を見て、納得いくまで質問をして、お母さまがそこで暮らしているイメージが湧いてくるかどうか。しっかりと見極めていただきたいと思っています」

悠子はうなづきながら聞いていた。和彦も真剣な表情で言葉を紡ぐ。

「神崎さん、本当にいろいろと教えていただいて感謝します。ありがとうございます。引き続き、よろしくお願い致します」

改まって頭を下げる和彦につられて、悠子も運転しながら、バックミラーに映る神崎に瞳でお礼を告げた。

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