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今回は、私たちの人生の幸せの一つの要素として、社会的幸福について考えてみたいと思います。
 
老いるというのは、いろいろなものを喪失していくプロセスのことです。特に男性の場合は、定年を迎えて仕事がなくなるタイミングでガクッと来る人が多いように感じます。公務員のように、再任雇用とか、天下りとかがある人は別ですが、ふつうの企業勤めだった人にはなかなか厳しいものがあります。現役中は寄ってきてくれた部下や後輩たちとの接点は、ほぼ完全消滅します。会社を辞めた上司や先輩と、プライベートで関係を維持しようなどという物好きはいる筈もないですからね。
 
それに比べると、女性の場合は、例え定年退職したとしても、つぎの存在場所へとスムーズにはいっていけるようなところがあります。パート先や、趣味のサークルや、同窓生とのつきあいや、地域のボランティアとか……。きっと、男性よりも社会性が高いのだと思います。要は、人との縁を発展させることに長けているように感じるのです。
 
家庭について言えば、そもそも夫婦仲が冷えきっていることなどざらにありますし、夫が家にいること自体にネガティブ感情を抱く妻は多いものです。たしかに、冷静に考えればわかるような気もします。女性の立場になってみれば、どうしたって「亭主げんきで留守がいい」わけです。大人になった娘や息子たちにしても、微妙な関係の親子が多いと聞きます。心理的にはほぼ絶縁状態ということさえあるくらいです。
 
マズローの欲求五段階説では、生存欲求(食欲・性欲・睡眠欲)、安全欲求(警察・消防・医療・福祉・法律・交通…)の次の段階が所属欲求です。要は、会社や学校や地域のコミュニティーといった組織の一員になることの欲求です。人間関係と言い換えてもいいかもしれませんね。結局、人はみな、ひとりっきりでは生きていきづらいということなのでしょう。となると、100歳くらいまでハッピーに生きていこうと思ったら、何であれ、仕事を持っていたほうがいいということになります。
 
精神的幸福のところでも触れましたが、私たちは組織の中で役割を担うことの対価として、同志という人間関係と連帯意識を得ることができる。そして、マズローに言わせれば、その次の段階として、組織の中で同志から認められたいという承認欲求へとつながっていくわけです。また、仕事以外の時間帯において、身寄りや友人がいないよりは、いたほうが、社会的幸福度が増すと考えられています。
 
そう言えば、歴史上の様々な分野の偉人たちが『幸福論』を表しています。ヒルティ(スイスの法学者・哲学者)、アラン(フランスの哲学者・評論家)、ラッセル(イギリスの哲学者・数学者)の著作は世界三大幸福論として有名です。彼らに共通する幸福の概念は、仕事をする喜び。働くことが、幸福にとって欠かせない活動である……と書き残しています。
 
これが何を意味しているのか、私なりに考えているのは、自分が何かの役に立っていると実感できること。社会に貢献しているんだという感覚を持てることが、社会的幸福の本質なのではないか。そういうことです。ちなみに、ここでいう働くとは、人から憧れられるようなハイクラスな職務に就くといったニュアンスではなく、どちらかといえば、額に汗して労働するという感覚です。


それでは実際に、65歳以上の人たちがどのような仕事に就いているか、私が知っている範囲で紹介してみましょう。一応、公務員の再任用とか、官僚の天下りのケースは除きます。ふつうに会社勤めを終えた人たちのセカンドキャリアに限定します。
 
まず、個人的に「やるなぁ~」と感心するのが、退職金を元手に起業している人たちです。組織に属している場合に比べると、独立起業というのは、何かに何まで自分でこなさなければいけないので大変です。出張の段取りも然り。交通費の精算も然り。請求書や領収書の発行も然り。確定申告もまた然りです。要は、会社の秘書とか総務的な仕事に対応してくれるスタッフがいないということです。もちろん、人を雇えばいいのですが、やはり固定費は限りなくゼロに近いほうがいいですからね。
 
にもかかわらず、ひとり起業をして楽しそうに溌溂と生きている人たちがかなりの数います。フランチャイズチェーンに加盟している人が多いですね。代表的なのは、シニアの生活支援ビジネス、個人指導型学習塾、移動式カフェビジネス、クリーニング店などです。フランチャイズの場合、本部がいろいろな経営支援をしてくれる一方、数百万円単位の加盟金を払い、さらに毎月の営業利益の一部をロイヤリティとして徴収されます。なので、個人的には、ちょっとキツいよなぁ~と思います。
 
次に多いのが、非常勤で再就職するケースです。現役時代に経験した業界業種の場合がほとんどのように思います。面白いところでは、経理経験者が近隣の飲み屋等の税務申告を代行してあげてたり、有資格者が商工会議所の会員企業向け研修の講師を務めてたり、資格はなくても地域の公民館等に自ら売り込んで、生涯学習講座を開催してたり。実にアグレッシブで尊敬の的です。他にも、さらに、シニア専門のエキストラで頑張っている人、共済組合等の勧誘で頑張っている人等々。
 
こういう人たちは、いくらかの副業収入を年金に上乗せすることで、趣味に興じる軍資金を稼いでいるといったイメージですね。そして、仕事を通じて新しい交流関係を作って、ときに楽しく飲んだり食べたりしている……という感じです。
 
ちなみに、私どもでは年に10数回、シニア等を対象とする意識調査を行っているのですが、回答者を10名単位で集めていただくことで5,000円~の謝礼を出しているのですが、「是非やらせてほしい!」という声が想像以上に多いのに驚いています。
 
その一方で、競馬・競輪・競艇やパチンコも高齢顧客がメイン客層だそうです。そういったギャンブルよりも、やはり、ご自身のキャリアや経験を活かした副業をするほうが、本当の意味での社会貢献性や自己承認欲求を満たせるのではないかと思いますが、読者のみなさんはいかがでしょうか?

先述の三大幸福論の中でもっとも読みやすくて、私の周囲に聴いて回ったところでも、もっとも認知されているのが、アランの作品です。なるほど、アランの哲学はすぐに実践できるし、効果もあるのでおすすめです。
 
まず一番重要なことは「幸福になろう!」と思わなければ幸福にはなれないということです。アランによると、人はみんな幸福になりたいと望んでいるのですが、たいていの場合、ただ座っているだけで、ボーッと幸福を待っていることが多いそうです。「幸福になるには、そのために努力しなければならない」とアランは言っています。
 
ホント、そうですよね。人は生きているだけで、お腹がすいたとか、眠いとか、さまざまな制約を受けますので、ほったらかしにしておくと不平不満だらけになってしまいます。だから、頑張らないと不幸になってしまうというわけです。「幸福になるためにがんばる」なんてふつうは考えないので、試してみたら意外と効果があるかもしれません。
 
また、私たちはよく他人を幸福にしてあげるべきだと諭されますが、アランによると、「自分の愛する人に対してできる最善のことは、自分自身が幸福になることだ」と説いています。まず自分が幸福になることが第一です!
 
では、私たちはどうしたら幸福になれるのでしょうか。アランによると、不幸な気分になる場合は、まずカラダに原因があることが多いそうです。誰だって疲れていたり体調が悪かったりすると気分が落ち込むものです。

ところが、気分は精神的なものだと思い込むと、「どうしてこんなに落ち込むんだろう?」と自分の心の中をさぐって悩んでしまいます。「ああ、カラダからきてるんだ」と理解すればちょっと楽になりますので、あとはゆっくり休めば自然に気分も回復するでしょう。
 
アランは、人がいらだったり不機嫌だったりするのは、長く立ちっぱなしだったりすることが原因なので、そんな人には椅子を差し出せば済むことだと言っています。
 
さらに、幸福になるには幸福な気分を先取りする必要があります。雨が降ってきたときに「また雨か……」と不満をもらせば、ますますいやな気分になります。疲れた時に「疲れたー」といえば余計に疲れてしまいます。アランは「上機嫌法」を提唱していて、何に対してもポジティブに上機嫌でいるように努力するという方法です。雨が降ってきたら「ちょうどいい湿りぐあいだ」とか、疲れても「ここちよい疲れだ」というように言い換えればよいのです。できるだけよい方向に考えて機嫌よくしていれば、周りの人も幸福になっていくというわけです。
 
このように、幸福になるには努力が必要です。「あなたは絶対に幸福にならなければいけない」というアランの言葉は心に響きます。


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