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夕幻の壊道

歌詞

夕暮れ夢フォルダ
空のファイルで満ちる
賛美な日々の暮れ
残るフェンスに手を伸ばす

崩れ落ちる崖を繋いでる

確かな影を探す
煙る炭の中から
窓外に望む心の果て
渇きのままで

何かを残し続けても
満たされることのない箱
残華をどれだけかき集めても
針は何ひとつ動かない

意味ばかり眺めても
答えはいつも廻る
後付けの飾りに曇る目が
灯りを落とす

闇の中で気づく
起源の並びを観る
霧の晴れた夜に照らされる
星の街道

自ら選び歩いてく
揺られるだけの船は無く
惹かれ続けて廻るこの場所で
それがただひとつの誇り

メモ

宇宙ってなんなんだー?ってよく思う。

自分はたまたま地球っていうところに人間として存在していることになってるけど、たまにどうにも常識とか認識とか経験?みたいなのが邪魔だなーって感じる。

主観的に物事を捉えてると、変に意味を見出そうとしたり、都合よく解釈しようとしたりしてしまう。

そんなとき、人間もただの物質だしなーって考えると目の曇りが晴れたりする。

物事に意味なんてないし、時間なんてものは存在しないし、宇宙がある理由なんてものも無くて。

大人はこうあるべき、とかお金のありなしとか、肩書とかも、あとから勝手に人間が作り出したものだったりする。

人間の資本主義な中で生きてて大事とされてることも、ちょっと時代が違ったり、国が違ったりすればたいして大事じゃなかったりする。

そう考えると、

流行ってるからこれをやる
売れてるから良い
成功したから偉い

みたいなのも全部幻みたいなもので。

順番が反対に見えてくるし、人間が後から作った見えない価値観に振り回されてるようになっちゃう。

シンプルに考えると「今」しか存在してなくて、その今の中で生物を含めたいろんな物質がなんやかんやしてる連続があるだけで。

たったそれだけのことなんだけど、どうにも線のような、円のような時間概念が認識にあるせいで、過去や未来に縛られたり、1日や1年みたいな周期に振り回されたりしてしまう。

毎年正月はこうするもの、とか、過去にこれだけの結果があるから未来もこれをするべきだ、とか。

つまりは、外側のノイズが多すぎるっていうことになる。

どこまでいっても、今これをしたいからする、っていうシンプルなことだけしかないんだよね…

考え方としては、それが最初あって、そのあとにその時その環境のモラルとか決まりに合わせて調整して動いていくっていう順番。

時間なんてものは、そのタイミングとか間に名前をつけただけ、くらいな感じ。
人間があとから便宜上つくったラベル。

何が原初で、何が後付けの飾りなのか。
そういう物事の構造?の順番をどう捉えてるかで、認識って変わるんだろうなーって思ってる。

それだけで、ほとんどの悩み自体が発生しない仕組みになるし、自動的にハッピーな感じになる。

自信はつけようとするものじゃなくて、気づいたらついてるもの。
誇りは持とうとするものじゃなくて、気づいたら持っていたもの。

捉え方の順番、大事!
認識の、棚卸!

物事の意味を考えてるのも、たまたま物質の塊な人間っていうものがあとから出来上がって、そういうのを考える機能があったから考えてるだけ。
身も蓋もない言い方をすると、もともと無いものを考えてるだけ。

そういう捉え方を土台としたうえで、人間の楽しみとして意味を考えたりする。

人が同じ行動をしていても、根底で物事をどう捉えてそれをやってるかが重要で。

この土台・根っこが時代や周りの影響を受けにくい作りになってると、強いなって思う。

気づかないうちに覆ってる霧が薄くなる瞬間が、ただただ楽しい。

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