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ジャバラのまど Vol.27 Y2Kと新宿アコーディオン流し

ファッションの世界ではちょっと前まで90年代リバイバルと言われていたのが、昨年あたりから「Y2Kリバイバル」という言葉が盛んに聞かれます。Y2K、つまり西暦2000年代、2000年から2009年までのことです。
「えっ!リバイバルするほど昔だっけ?」と、びっくりする方も多いと思いますが(私もそのひとり)、思えば先ごろめでたく20回目を迎え、蛇腹楽器誕生200周年に錦を飾ったcobaさんの「Bellows Lovers Night」の第1回が2002年。つまり、ゆうに20年…もはやリバイバルの対象になってもおかしくないだけの年月が経過しているわけです。年を取るわけだ!
いま、じわじわと若い世代が多くなり、活況を呈しつつあるアコーディオンの世界。そのひとつの基盤ができたのが、この時期だったように思います。このあたりからめきめきと、アコーディオンは洗練された楽器になっていきましたっけ。
そんなY2K時代に、新宿ゴールデン街にアコーディオン流しがいたという話を最近小耳にはさみ、驚きました。通称マレンコフ。といっても、本名は加藤武男。1927年生まれの日本人です。寡黙で控えめ、いつもへの字に結んだ口がソ連の政治家マレンコフに似ていることから、いつのまにかそう呼ばれるようになったそうな。ヨレヨレのジャンパーを着て、分厚い歌本と48ベースのEXCELSIORを携え…体調によってはギターのことも多かったそうですが、それでも2009年に肝硬変で亡くなるまで、実に60年以上にわたってゴールデン街で流しをしていました。歌本の何ページに何の曲が載っているかすべて覚えていたとか、なじみのお客さんとすれ違いが無いようにポケベルを持たされていたとか、いろいろな逸話が残っています。調べれば調べるほどゴールデン街では知らない人がいないほど有名人で、さまざまな文化人がエッセイやコラムなどに彼のことを書いており、「NAGASHI~流し~ その名はマレンコフ」というドキュメンタリー映画も作られている。私、自分の無知を恥じるばかり…
(映像は見つかりませんでしたが、こちらがテーマソングとのこと)

リクエスト以外でも雰囲気に合わせた曲を臨機応変に演奏したり、歌う人の気持ちに寄り添って音色を変えたり、お客さんの顔と持ち歌を覚えていて、会ったとたんに演奏を始めてくれたりなど、空気を読んで場を作り、気持ちよく過ごさせてくれるので、店にも人にも愛されたそうです。カラオケに押されつつあった時期に流しを続けられた理由はそこにあったのかも。こういう「思いがけない一期一会のエンターテインメント」は人間にしかできないですからね。
さて、当時は絶滅危惧種扱いだった流しですが、スマホとサブスクでいつでもどこでも好きな音楽が聴ける令和の時代に、意外や意外、昭和とはちょっと違ったスタイルで人気が復活してきているとか。これもちょっとしたリバイバル・・・いいえ、人が酒場で楽しいと感じることって、基本はそんなに変わらないのかもしれません。

雑誌(中洲通信)の表紙を飾るマレンコフ氏

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