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自分のネガティブと向き合う教育をしてほしかった
私は、学生時代の失敗が少ないような気がする。失敗はしてきているが、そのたびに、大人にこっぴどく叱られたり、友人から冷たい目を向けられ、とにかく謝り、その場を収めることが多かった。その経験は、一生の恥として、恐怖し、二度と起こすまいと心の奥底に押し込めてきた。そのたまに起こる失敗を振り返るたびに、人生が終わったかのように落ち込み、「今日はたまたま気が抜けて油断してしまったんだ、今後こう言うことの無い
もっとみる体が動かないと、出したい言葉も出てこない
自分に安心して頼ってくれないのは、自分が安心して相手を頼っていなかったからだろう
なぜ人はここまで貪欲なのか
無意識的な「怒り」からの逃避
先日、少しの時間、知り合いの子どもたち(小学生以下数名)と遊びながら時間をつぶす機会があった。そのときに、子どもたちが各々の考え方、価値基準の違いから、お互いに理不尽を感じ、諍いを起こしてしまった。また、お互いに非がある行動があり、それをその子たちに伝えてあげなければならなかったのだが、普段のクセから、苦笑いしながら話してしまったり、多少の必要な怒りを伝えてあげることができなかった。この時に、自
もっとみる他人のペースに合わせる力
私は他の人の機嫌を感じ取る力がある。また、その力のおかげで、その人がどこまで物事をわかっているのかをある程度の精度で予想できる。自分がわからない話をされたとき、あるい自分にとっては「もうわかっている」ことを話されたとき、共感を呼んだり、理解できたとき、そのときの反応は、声色や表情、無言の圧力で「感情」という形で出てくることが多い。その反応から学習すれば、たとえ子供やお年寄りの方、障害のある方であっ
もっとみる身体に無理をさせない調整も学ばないといけない
人生でできることは少ない