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古井由吉『杳子』と「中途半端な健康人」

 『杳子』が佳作であることは間違いないが、確かに読みづらいという難点がある。しかしその読みづらさは主人公で大学生のSと女子大生の杳子のギクシャクした関係を所以とする。

 「深い谷底に一人ですわっていた」杳子を岩ばかりの河原をゆっくり下ってきたSが見かけたのは10月のなかば頃だった。杳子を吊橋のたもとから終着駅のホームまでほとんど言葉を交わすことはなく別れたのだが、三ヵ月後に偶然駅のホームでSを見かけた杳子が反対側のホームから駆け寄って来たのである。それから二人は何となく付き合うようになるのだが、杳子の言動は奇妙なもので、同じ喫茶店で待ち合わせるようになってから、ある日、杳子が店の前でうろうろしているから理由を訊ねると、いつも座る席に他の人が座っていて座れないというのである。別の日には、街のなかのる自然公園で待ち合わせても駅の構内が数年前と変わっていたために約束の時間よりも一時間以上遅れて来たのだが杳子は「すぐにわかった」と強弁するのである。

 このようにずっとSと杳子のちぐはぐな会話が続くのであるが、「七」になって杳子がSに家の電話番号を教え、杳子の姉が関わってくるところから分かりやすくなる。

 Sが杳子の部屋を訪れ、しばらくすると杳子の姉が紅茶とケーキをもってくるのだが、杳子は姉がカップと皿をテーブルに「ちょうど矩形くけい」にして置く仕方に激怒する。

「いいえ、あたしはあの人と違うわ。あの人は健康なのよ。あの人の一日はそんな繰返しばかりで見事に成り立っているんだわ。廊下の歩きかた、お化粧のしかた、掃除のしかた、御飯の食べかた……、毎日毎日、死ぬまで一生……、はずかしげもなく、しかつめらしく守って……。それが健康というものなのよ。それがいやで、あたしはここに閉じこもってるのよ。あなた、わかる。わからないんでしょう。そんな顔して……」(p.163)

 驚くべき告白である。杳子本人が決まり事から外れると混乱してしまうのに、決まり事を決められた通りにできる姉を憎んでいるのである。家の中にいる限りは通用しても、「社会」に出てしまえば「決まり事」など存在しないことをまるで姉が分かっていないように感じるからであろう。杳子がSに電話番号を教えた理由は以下の告白に尽きると思われる。

「そうね……。あなたには、あたしのほうを向くとき、いつでもすこし途方に暮れたようなところがある。自分自身からすこし後へさがって、なんとなく希薄きはくな、その分だけやさしい感じになって、こっちを見ている。それから急にまとわりついてくる。それでいて中に押し入って来ないで、ただ肌だけを触れ合って、じっとしている……。いつも同じだけど、普通の人みたいに、どぎつい繰返しじゃない」(p.167)

 杳子が求めていた人はSのような「中途半端な健康人」だったのである。

 このようにして古井由吉は『妻隠』ではなく『杳子』のような純文学の方へ舵を切っていったのである。