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『桑田佳祐論』と『キャッチャー・イン・ザ・ライ』

 桑田佳祐どころかサザンオールスターズの音楽でさえ積極的に聴く習慣がない。もはや邦楽そのものに興味を失いつつあると言って良いのだが、それでもサザンの曲はテレビやラジオから流れてくることがあれば耳にするし、例えば「ピースとハイライト」(2013年8月)なども聴いたことがあったのだが、この曲はどちらの銘柄が美味しいのかという歌なのかと思っていた。つまりサザンのデビュー曲「勝手にシンドバット」(1978年6月)がその前年にヒットしていた沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンクレディーの「渚のシンドバッド」のタイトルをくっつけて、相手の迷惑を考えずに勝手にシンドバッドを気取る主人公の物語を作り出したような、いつもの桑田佳祐の悪ふざけだと思っていたのである。

 ところが『桑田佳祐論』を読んで驚いたのであるが、「ピースとハイライト」とは「ピース(Peace 平和)」と「ハイライト(High Right 極右)」という意味らしいのである(p.244)。サザンオールスターズが巨大化し空気レベルの大衆性を獲得したとした上で著者は以下のように書いている。

 桑田佳祐の言葉が、顧みられなくなった。一部のファン以外にとっては、誤解を怖れずに言えば、サウンドの不随物になってしまった。一般化され過ぎて、空気のようになって、存在が顧みられなくなった ー 何だか、日本国憲法みたいだ。日本国憲法によって、この国に確かに広がったはずの戦後民主主義みたいだ(p.264)。

 全くその通りだと思うのだが、だからといって誰が悪いというわけでもないのだから余計に難しい問題なのである。

 ところで桑田佳祐の歌詞がそのように政治的であるのならば、「ピースとハイライト」以上に気になる歌として著者も指摘しているが、2020年に桑田佳祐が坂本冬美に提供した「ブッダのように私は死んだ」が挙げられよう。

 桑田佳祐と原由子が、いわゆる「おしどり夫婦」であることは、サザンや桑田佳祐の人気の永続化に対して、大きな影響を及ぼしていると思う(p.211)。

 と著者が指摘している通り、この歌が桑田の経験がベースになっているとは考えにくい。

 もしもこの歌がラブソングではなく政治的な歌だとするならば、歌詞に気になるフレーズが見受けられる。いくつか書き出してみる。

 「何食わぬ顔でテレビに出ている
  ねぇ、あなた
  世間は本当の事など
  なんにも知りゃあしない」
 「身なりの悪さは赦す
  ただ箸の持ち方だけは
  無理でした」

 このフレーズに該当する大物政治家は一人しかいない。さらに「みたらし団子が食べたい」というフレーズが加わるならば、この歌は「桜を見る会」にさえ呼ばれなかった女性の怨念が歌われているとしか思えないのである。

 奥付を見るならば本書が上梓されたのが2022年6月20日である。そしてその元首相が暗殺されたのが同年7月8日なのだから、そういうことなのである。

深い!

深い!

深すぎるよ、桑田佳祐!

「真実」が見えないほど深いよ!