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筒井康隆『ヨッパ谷への降下』と世代交代

 筒井康隆は直木賞は逃したものの数多くの文学賞を獲得しており、昭和63年1月号の「新潮」に発表した短篇「ヨッパ谷への降下」で平成元年の第16回川端康成文学賞を獲っており、その後『薬菜飯店』(新潮文庫)に収録された。

 最初に『川端康成文学賞 全作品 Ⅱ』(新潮社)に掲載されている筒井の受賞の言葉を引用してみる。

「ヨッパ谷への降下」は真冬の早暁に見た夢をほとんどそのまま作品化したもの。夢は現実を抽象化し、物語化し、現実を超克するという持論であったのだが、これを称して「現実の夢化」などと、悦に入っていた。ところが小説化にとどまらずこのたびの受賞化で、夢が確実に「現化」されることも証明され、個人的祝祭化の激化となる。ちょうど躁の時期でもあり、こうなるとハシャグあまりに自分が何をやり出すかわからず、いささかこわいくらいのものである。君子、当分傍へは寄られぬがよろしかろう。(p.374)

 だいたい作家というものは作品の「真意」など語ることはなく、仮に語ったとしてもほとんどが嘘だと個人的には思っている。

 ところで「ヨッパ谷への降下」はけっこう難解な作品で、主人公は何代も続いた古い家を継いで朱女あけめという娘と同棲しているのだが、朱女は自分の碗の中に「社会」や「国家」を見出すような感性の持ち主である。
 村では何代も家が続いていることを証明するためにヨッパグモを棲みつかせているのだが、ヨッパグモの巣に子供が引っかかると自力では抜け出せないほど大きくて強力である。朱女はヨッパグモの巣の中には「政治」が見えると言う。
 ヨッパ谷にかかっている吊り橋の下にはヨッパグモが大きな乳白色の巣を張っている。朱女は毎日サイカチ山へ漢方薬の原料にするサイカチを取りにその吊り橋を渡るのだが、ある日朱女はヨッパ谷へ落ちてしまい、主人公は友人の桐吾とうご晃人あきひとを吊り橋に残して朱女を救いに行く。
 主人公は朱女を見つけると「巣の中を通り抜けたために君のことや君の言うことが理解できるようになったよ(p.135)」と告白するのである。

 ここまで書けば分かると思うが、吊り橋の下の「乳白色」の巣へ落ちた「朱」女というイメージは日本の国旗を思い出させるのならば、ヨッパグモは「ヨーロッパ」の暗示で、桐吾は「東郷平八郎」で晃人は「明仁」の暗示となろう。当初は「桐吾」ではなく「広人」とでもしたかったと思うのだが、それではあからさま過ぎるから東郷平八郎を選んだと邪推する(面倒なことに巻き込まれたくなかったからだと思うが、結局筒井は平成5年に短篇「無人警察」で断筆に追い込まれる)。昭和天皇は昭和62年頃から体調不良が続き、「ヨッパ谷への降下」が昭和63年1月号の「新潮」に発表されたのはそういう意味だと思うのである。

 ところで当時の川端康成文学賞選考委員だった、吉行淳之介、大江健三郎、水上勉、竹西寛子の選評を読んでも、筒井の意図を理解したようには思えないのであるが、敢えて素知らぬ振りをした可能性もなくはない。おそらく筒井の「攻め」を理解していたのは「ヨッパ谷への降下」を選考対象に選んだ編集者くらいであろう。