ワールドカップ見てませんでした

でもまあ「見てない俺かっこいい」的なことを言いたいわけではないんです。

最近思っていることに、「ないこと」はアイデンティティになり得ないというのがある。何かを知らない場合、それについての解像度はかなり低いので自身特有のこだわりだったり個性というものはそれには反映されにくいと思っている。

「無敵の人」という言葉があって、いろんなものを持っていない人の表現として使われることがある。なんかこの言葉自体分断を生んでる気がして好きではないのだけど、これがアイデンティティとなり得るような解釈をして喋ったりする論客的な人がいるとそれは違うよなぁと思うことが多い。「ないこと」はその人の現在の属性の一つかもしれないけど「あること」の情報の方がよっぽど解像度が高いし、個性が現れることではと思う。

食べ物は何が好きだとか、どの店が好きだとか、どの場所が好きだとか、誰が好きだとか、どういうことに熱中しているとか、どういう音楽が好きだとか、本は何が好きだとか、好きな言葉とか、あるいはそれらの嫌いバージョンは何かとか。ついやってしまう行動だとか、とにかく「あること」でしかその人を表すことはできないんじゃないかと思ったりする。

まあ「ない」からかわりに何々をやってそれが「ある」というパターンで「ない」が「ある」の起点になったりはしてるかもしれないけど。

というわけで僕はワールドカップ見てなかったとかサッカーに興味がないというのはあるんですが、そんなに重要なことではないです。
じゃその時間何やってたんだと言われると・・思い出せないくらい大したことをやってない気がする。多分適当にYoutubeザッピングして猫とかの動物の動画とか見てた。

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