読書録/ジャングル・クルーズにうってつけの日―ヴェトナム戦争の文化とイメージ
「ジャングル・クルーズにうってつけの日―ヴェトナム戦争の文化とイメージ」生井英孝著/三省堂
この本に最初に出会ったのは地元の
図書館で、「ジャングル・クルーズにうってつけの日」という変わったタイトルが、なんとなく村上春樹の「中国行きのスロウ・ボート」みたいだなと思って軽い気持ちで借りて読んだのだが、軽いタイトルとは裏腹に、ヴェトナム戦争をテーマにしたなかなか重たい内容の本だった。
でも、なぜかこの切り口が気に入って、あとから本を買って、また読んでしまった。最初に読んだのは大学生の頃だったから、もう25年ほど前になる。当時は
まだ、ヴェトナム戦争に対する基本的な知識がなかったし、著作の中で挙げられている、デイヴィッド・ハルバースタムの「ベスト・アンド・ブライテスト」も
ティム・オブライエンの「カツィアートを追跡して」も読んだことがなかった。映画「プラトーン」は公開されたばかりで、本書には取り上げられていなかった
が、その後20年のうちに、ヴェトナム戦争に関する映画や著作物に多少なりとも触れ、よりいっそう、本書に対する理解度が増したのではないかと思う。
というのは、副題にあるとおり、本書はヴェトナム戦争そのものを論じたものではなく、様々なメディア、テレビ、新聞、雑誌の報道や映画、小説
など…の上で「表現された」言説や映像によって形成されていった、ヴェトナム戦争の「イメージ」の変遷を取り上げたものだからである。
今、ヴェトナム戦争と聞いて頭に思い描く映像は、バタバタと音を立てて飛行する、戦闘用ヘリコプターの編隊ではないだろうか。著者は、ヘリコ
プターこそヴェトナム戦争の「ユニークさ」を象徴するものとしているが、それは、第二次世界大戦時には一般市民に戦闘機からの俯瞰映像がニューズリールで
提供されたが、この時代のジェット戦闘機ではすでに映像に捉えられるような速度を超越しており、低速、低空で上空からの俯瞰映像を提供し得るヘリコプター
が、それに取ってかわったからだと考察している。しかし、ヘリコプターには大きな問題があったのである。地上に近すぎて、映像には、上空からの機銃掃射で
逃げまどい、倒れ、飛び散る肉片までが映り込んでしまうのだ。そしてそのような映像がニュースで家庭にまで届けられたことで、反戦運動が一気に広まること
となったこととなった。
その後、湾岸戦争以降、アメリカの戦争は報道規制がされて、ヴェトナム戦争の報道で流れたような生々しい映
像がニュースその他で流れることはなくなった。その意味で、ヴェトナム戦争ほどリアルタイムに、生々しく、かつ自由に報道された戦争は後にも先にもなかったのではないだろうか。
本書はタイトルもユニークだが、各章のタイトルも「戦争は9時から5時まで」「アメリカン・グラフティーズ」「ヴェトナム・ミステリー・ツ
アー」など、戦争をテーマにしたものとは思えないポップなものとなっている。恐らくそれは、ヴェトナム戦争が当時のポップ・カルチャーと深く結びついているからだと思う。中でも私が個人的に好きなのは「心の中の死んだ場所」と題された章である。恐らく、本書の中で最も悲惨な体験を集めた箇所だと思うのだ
が、その章では、戦争のもっとも恐るべき、罪深い一面が著されている。戦争には悲惨な体験がつきものだが、中でも兵士の体験する悲惨さというのは、他の誰
にも理解されないという点で際だっているように思う。そうした体験談が表現され得たという意味において、ヴェトナム戦争のユニークさもまた際だっているの
ではないだろうか。
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