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読書録/心の居場所が見つかれば 人生はいつでもやり直せる

■心の居場所が見つかれば 人生はつでもやり直せる 〜200人の受刑者が生まれ変わった教誨師の奇跡の言葉 中村陽志 著 マガジンハウス

 LB級(L=執行刑期10年以上、B=犯罪傾向が進んでいる者)が収容されている熊本刑務所で教誨師を務める、熊本ハーベストチャーチの牧師が、刑務所での受刑者との面談から、受刑者たちが自分の罪を認め、悔い改めて新しく生まれかわる助けをしてきた経験をもとに、希望を持って人生を生きる意味について語る、エッセイ集です。

 熊本刑務所で、すばらしい働きがされているということは少し耳にしていたことがあったのですが、この本を書かれた中村牧師が、大津バプテスト教会で開かれた「エリヤハウス・祈りのミニストリー」を受講されていた関係で、このミニストリーのために奉仕している教会員の方が、おすすめの一冊として紹介してくださり、手に取りました。

 刑務所で、受刑者は更生の道を歩めるように、「教誨(きょうかい)」という授業を受けます。一般教誨は必須科目で道徳、倫理を、そして宗教教誨は仏教、神道、キリスト教があり、自由参加で自分が信仰する宗教の教誨を受けることができます。中村牧師は、このうちのキリスト教の牧師ですが、彼の個人教誨(受刑者とマンツーマンで面談する)は、数ヶ月まちの人気。これまでに15人が悔い改めて洗礼を受けたそうです。

 ところでキリスト教というのは、「神・罪・救い」の3点セットで語られます。天地創造の神がいる・私たち人間はすべて罪人である・その罪から救うためにイエスが十字架にかかられ、死んで墓に葬られ、三日後によみがえられた」というのが、その内容です。
 多くの人は「救い」を求めて教会にやって来られますが、「神(え、進化論否定?!)」「罪(え、私何も悪いことしていないよ、犯罪者じゃないし)」というところで引っかかりを感じるようです。私自身もそうでした。
 しかし、刑務所にいるのは犯罪人です。彼らは、自分が罪人であることを自覚しています。逆に、自分の罪が「赦される」とは思っていない、という人たちです。そんな人たちを通して、罪とは何か、罪が赦されるとはどういうことなのか、がわかりやすく語られます。タイトルは、なんとなく自己啓発本っぽい感じですが、中身はしっかりと、福音がつまっていて、こんなに素晴らしいことが起こっているのか、と受刑者一人ひとりのエピソードを、何度も繰り返して読みました。

 本の中では、中村牧師ご自身がクリスチャンになったきっかけや、教誨師になりたいと思ったきっかけも紹介されています。それを読むと、まさに、自身の意志でありながら、それ以上に神の選びがあったのだな、と思わされます。中村牧師が自身の生い立ちを語ると、受刑者は「ぐっと身をのりだす」のです。そこには共通した辛い思い出があり、そのことによって、ぐっと距離感が縮まるのです。それは自分自身で選ぶことのできないもの。まさに賜物でしょう。

 私も学んだ「エリヤハウス・祈りのミニストリー」のことが、少しだけ登場しますが、受刑者との面談の中で、まさにその学びを実践され、多くの人の傷ついた心を癒し、また人を傷つけた人がその罪を主の前に持っていくことを助けておられることに、感動しました。このミニストリーは、このように、教会の働きが社会の中で生かされ、教会から命の水の川が流れ出て、地域の人々を癒すためのものとして、始められました。その働きが、このように生かされていることを知ることができたことも、とても感謝でした。

 また、人を助けたいと活動する人が陥りがちな「共依存」や、境界線の引き方など、まさに実践しているからこそ出てくる課題と、そこから見いだした知恵についても教えてくれます。その意味で、とても教えられることの多い本でした。

 ただ、サブタイトルになっていて、各章のおわりにスローガンのようにまとめられている「奇跡の言葉」という言葉にはピンとくるものがありませんでした。内容というよりも、言い換えれば奇跡の言葉とは「これさえやっとけばうまくいく」魔法の言葉、的なニュアンスを感じます。それが、本の内容とはあまり合わない感じがしました。このへんは、出版社サイドの意向もあるのでしょうが、最近感じる「ペラっとした感じ」がここにあるなー、と思いました。

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