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読書録/鷲は舞い降りた

「鷲は舞い降りた<完全版>」ジャック・ヒギンズ著 菊池光訳 ハヤカワ文庫

 読書人ならどこかで一度はタイトルを目にしたことがあるであろう、傑作冒険小説。いつかは読みたいと思っていたが、ようやく機会にめぐまれた。

  第二次世界大戦の最中、敗色が日に日に濃くなっていゆくドイツ。「あれだけ優秀な人員を揃えているのであれば、チャーチルを拉致して私の前に連れてくるこ とだって可能ではないのか!」とヒトラーに叱責されたSS長官のヒムラー。チャーチルが公務の合間、イギリス東部ノーフォークの海岸沿いの寒村に立ち寄る ことをスパイからの情報で知ったラードル中佐は、ドイツ精鋭の落下傘部隊を秘密裏に降下させ、チャーチルを誘拐する極秘計画を立てていた。これを知ったヒ ムラーは、何としてもその計画を実行するようラードルに命じる。

 と書けば、胸躍る冒険小説と思えるだろうか? 実はこのあらすじ紹介には、あまり惹かれるものはなかった。なぜなら、チャーチルはナチスドイツに誘拐などされなかったし、ドイツが敗戦国となったことは誰もがしる歴史上の事実である。

  しかし、物語はジャック・ヒンギス自身が舞台となった寒村スタドリ・コンスタブルを訪れて、墓掘り人アームズビイが語ることに耳を傾け、教会墓地からそこ にあるはずのないナチスドイツの鉄十字章が彫られた墓碑を発見するところから、語り出される。そうなるころには、もうすっかり前のめりになって、ページを めくる手が止らなくなっている。何かを隠している神父、素朴だが陰険な村の人々…。この村で、一体何が起こったのか。次の瞬間、明らかにされるのがドイツ のチャーチル誘拐計画、なのだ。

 主人公はクルト・シュタイナという落下傘部隊の隊長だが、むしろ本作は群像劇ともいうべき形をとって おり、彼以外にも多くの主人公がいる、といってよいだろう。大きくは、連合国側であるイギリスと、枢軸国であるドイツとの戦いであるが、ドイツ側について いるのが実はドイツ人だけではない、というところも奥深い。村に住み着いている女スパイ、ジョウアナ・グレイは南アフリカ出身のボーア人、落下傘部隊の先 遣として村で作戦準備をするリーアム・デヴリンはアイルランド人でIRAの兵士。完璧な英語を話せる者がいなければならない、という理由でヒムラーが同行 させるブレストンは自意識過剰なイギリス人の俳優で、ドイツの勝利を信じてドイツ側についているという変わり者である。

 加えてシュタイナ自身も アメリカ人の母を持ち、幼少期をロンドンで過ごした国際人であって、SS長官のヒムラーのように、ヒトラーに絶対的服従を誓っているわけではない、作戦に 失敗したとして、優秀な軍人でありながら懲罰任務(日本で言う人間魚雷のような任務)に就けられて、いつ死ぬかもわからない、という境遇に置かれている。

  こうした、一人ひとりの登場人物の人物描写と、その人生観が織りなされていくなかで、ラードルの計画が、失敗しようのないほどの完璧なものに仕上げられて いく。しかしそれゆえに、読んでいる私たちは、それが失敗する必然性をひしひしと感じ、計画が実行される段になると、この計画がもろくも崩れさってゆくの を読むのが辛くて、先を読みたいのだけれども読むのが惜しい、そんな不思議な気持ちになっていくのだった。

 計画が失敗した要因は、いく つもある。それが何かは置くとして、一つ言えることは、完璧な計画、完璧な能力を持った実行者が揃っており、敵国イギリスを憎むという一致点があったとし ても、彼らはその人間性のゆえ、目の前にいる素朴な村人を、非人間的に扱うことが出来なかった。そこに著者ヒンギスの悲しくも温かい視点を感じる。

  もう一つの代表作「死にゆく者への祈り」にも共通していることだが、ヒンギスの作品では、カトリック教会と神父が重要な役割を果たしている。計画に失敗し て死んでゆく者たちは、組織からも教会からも見捨てられた者である。ヴェリカ神父自身も、人間的にはドイツ兵にゆるしがたいものを感じたであろう。しか し、そうした思いを越えて、彼は失敗して見捨てられた者たちを埋葬したのだ。組織は見捨てても、神ご自身は決して彼らを見捨てられない。そんな著者の神へ の思いを、そんなところに感じるのだった。



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