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読書録/堕落する高級ブランド

堕落する高級ブランド
ダナ・トーマス著 実川元子訳 講談社


 私が就職したのは1989年で、バブル経済の絶頂期だった。日本企業が海外の不動産や絵画をものすごい値段で購入したことが毎日のように話題になり、海外旅行に出かけては高級ブランドを買いあさることが、欧米からは物笑いの種にされた。だが、このときルイ・ヴィトンのバッグを持っていたのは、本当にお金を持っている家の子だった。私は興味がなかったので、当時値段がいくらぐらいのものだったのかは知らない。だが、今のように、東京や大阪に巨大な店舗があるような店ではなかったのだ。高級であり、しかも日本ではなかなか手に入れることが難しかった。

 それが、何年か後、女子高生がこぞって手にするようになった。女子高生にとっては決して安い買い物ではなかっただろう。でも、わざわざ海外に出かけなくても、手に入るようになっていたのだ。私は、日本人のブランド好きが若年層にまでヘンに広がったんだな、というふうに思っていた。もちろん、それもある。だが、ただそれだけではなかった。ルイ・ヴィトンの側にも、実はこのとき大きな経営戦略の変化があったのだ。高級ブランドの資本主義化と民主化、そしてグローバル化。日本人が高級ブランドに近づいていっただけでなく、高級ブランドもまた、日本人に、そして広く世界の「富裕層」に憧れる大衆に近づいてゆく戦略を取り始めたのだ。

 イタリア、フランス、イギリスなどヨーロッパの貴族やアメリカの富裕層など、ごく一部の限られた大金持ちを相手に、伝統の技術を受け継いだ職人が、希少な素材、丁寧な手仕事で時間をかけて作り上げるバッグやアクセサリー。そして、著名なデザイナーが、その人のためだけにデザインし、作り上げる一点ものの仕立て服。それが、私たちの持っている「古き良き」高級ブランドのイメージではないだろうか。そしてそれは、庶民にとっては決して手が届かない、憧れのライフスタイルを象徴していた。

 そんな高級ブランドの、製品そのもののクオリティでなく、ブランドイメージこそが大きなビジネスになる、と見抜いたのが、現在LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)グループを率いる総帥、ベルナール・アルノーである。本書では、ルイ・ヴィトン、クリスチャン・ディオール、プラダ、シャネル、エルメス、アルマーニ、グッチやコーチなど、誰もが知っている高級ブランドの歴史をひもときつつ、その歴史を支えてきたごく一握りの富裕層から、いかにより多くの大衆を相手に、ブランドイメージを保ちつつそれなりの製品を大量に売り、巨益を上げる大企業体へと変貌していったか、を追及したレポートである。

 著者はファッション・ライターとして活躍してきたダナ・トーマス。老舗高級ブランドから新興ブランドまで直接、創業者一族やCEOにインタビューするだけでなく、製造現場やマーケット、レッドカーペットを歩くハリウッドスターのファッション事情の舞台裏から、果ては偽ブランド売買の実態まで、高級ブランドをめぐる様々な事象を追いかけて世界中を取材している。ジャンルはファッション、扱っているのは高級ブランドだが、その背後にうごめく現代の大企業、資本主義システムに共通の大きなうねりと変容が、ブランドの1990年代から2007年に至るまでの間の変化として可視化されて描かれていくので、ブランドそのものに興味がなかったり、あまり詳しくなくても、とても面白く読み込める。

 ブランド好きの人にとっては、ある意味ショッキングな事実が満載の一冊かもしれない。人々の夢、憧れを糧に巨大に成長してきた高級ブランドは、もはや(金額に見合うほどの)高級品ではなく、そして、あのブランドとこのブランドとの差異もない。一体何に、それでも決して安くはない金額を支払っているのか。その金額を支払うだけの「輝き」を、その商品はまだ持っているのか。「知る」ことで、自分の中で何かが変わるかもしれない、そんな視点を与えてくれた。オススメです!

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