20211115|十一の月

賢さのかけらもないな。

ここから歩いて11分でバスターミナルに着くらしい。だけど、なぜかわからないがさっきからずっと、「とりあえず5時に起きれば大丈夫」そのフレーズばかり繰り返している。要は細かく考えたくないのだろう。朝起きて荷物をまとめてお風呂に入り、チェックアウトをして、ゴロゴロとスーツケースを引き摺ってバスターミナルに向かう。この間の映像を脳内で流すMPが足りないのだ。

今日はMPを激しく使い倒す一日だった。近頃そんな日が続いている。近頃とは具体的には何日前かと問われても、正確に勘定できなさそうなのだが、とにかく最近激しい。

近頃。最近。その言葉が出てくるというのは、何かしらの事象が連続して起こっていると認知しています。という表明だ。それを話題に挙げることから始まり、さてどんな意義ある話へ物語が展開していくのかと思いきや、筆者にはまだそこは見えていない。

まるで今回の旅のようだ。出発することだけ決めて、その場その場でいきあたりばったりに流れが一点に決定されていくのを楽しんでいる。可能性の線が一番色濃く重なった場所が点になる。点のように見える。

点、てん、天。
そういえば今朝、天に向けて脱力するという概念を教わった。トランポリンで跳ねる人は、ロケットより自然だった。それらは同じように大気圏に向けて発射されていくのだけれど、一方は流れの中にいて、他方は流れに抗っているように見えた。他力と自力。それぞれそんな感じがした。

天に脱力するとき、わたしはどこに落ちていくのだろう。天という深淵は世界一深い海だ。どこまでも潜れる。どこまでも浮くことができる。どこまでも落ちていける。

地に寄りかかることを覚えた。僕は大きな龍の上にいる。龍の背中で昼寝する。眠りはわたしを地球の一部に絡め取る。私は忘れる。形を忘れる。天に寄りかかるとどうなるのだろうか。ふわふわと落ちていくのだろうか。永遠に落ち続けてゆけるのだろうか。
天に落ちるものは漂うのか。漂っているように見えるのか。完全他力の完全落下。無重力で生きるのはなんとも面妖である。

#諸国漫遊2021

広大な仮想空間の中でこんにちは。サポートもらった分また実験して新しい景色を作ります。