第19話:へんつうさんへ
◆拝啓
お元気ですか?いかがお過ごしでしょうか。
近況報告のお手紙を送ります。
なぜか急にデパ地下のお惣菜のポテトサラダが食べたくなったような気分の時に、読んでもらえたら幸いです。
お買い物に行ってきました。
五線譜とシャーレとスポイト
そして墨汁を買ってきました。
先週からずっと手に入れたかったのですが、
緊急事態宣言の影響で、しばらくの間、東急ハンズも世界堂も閉まっていました。
しばしのやきもき期間を経て、営業を開始したという情報を得たので、
わくわくしながら新宿西口行きのバスに乗車しました。
五線譜は、久しぶりにおたまじゃくしを鉛筆で書きながら
和声進行を楽しみたいなと思ってのチョイスなのですが、
それ以外の道具は、
マーブル模様に混ざり合う水面を撮影してみたくて
手に入れたかったものです。
<風と光と世界と水>
最近、これをじっくり鑑賞したくてたまりません。
風によって揺れ動く/水面/映る光と世界。
その狭間にLassLosを思い出すヒントが隠れている気がして
カメラも用意しました。
◆LassLosを思い出したい。
相変わらずLassLosのことばかり考えています。
LassLosとは、わたしにとって、レットゴーにとって一体何なのでしょうね。
LassLosを思い出したくてたまりません。
風によって揺れ動く/水面/映る光と世界。
それをじっと見つめていると思い出せそうな気がするのです。
風と水と光。
それをじっくりと見つめていると、脳がゆらり揺れて、
ふいにLassLosの記憶を思い出せそうな
そんな錯覚を覚えるのです。
◆模様だと思っているけれど、本当は何かを保存しているのかもしれない
気づくと街の中の文字をよく撮っています。
なんでだろうと思いを巡らせてみた結果、わたしは街に散りばめられたこの模様が好きだからと気づきました。
人間が地球上からいなくなったら、文字はただの模様になります。
模様としての文字、その痕跡から何かの手触りが香ってきます。
その感触が好きで、わたしはよく文字のある光景を切り取ろうとします。
一方、文字は強い質量をもっていて、
見た瞬間、鑑賞者に自動的にイメージを想起させます。
もしかしたら、私たちが今文字だと思っていないものも、本当は文字なのかもしれません。
風と水と光と。
そこに見える光景・模様も、見方を変えたらある種の文字なのかもしれません。
じっくり見たら、何か視覚の奥にイメージが想起されるかもしれません。
思い出せるかもしれない。
LassLosのかけらを。
そんなことを考えながら、写真を撮ってみたので、共有します。
ひとつひとつ丁寧に願いを込めて撮りました。
どうか、思い出せますように。
模様と文字.
自然に記述される形 と 記号.
そこから想起される/思い出されるイメージ.
視覚を超えて観えるなにか.
混沌に形はないけれど.
境界線ぎりぎりの矩を踰えて、
何かのはずみで思い出せやしないだろうか.
淡いの中に. 揺らぎの中に.
ふとしたはずみに思い出してしまったりしないだろうか.
あの「景」を.
わたしはLassLosを思い出したい。
そして、その「景」の標本を古代文明に書き込みたい。
◆すごく長いあとがき
ここから先は、すごく長いあとがきです。
わけのわからない人になる前に、定点観測を言葉にしておきたかった。
◆わたしたちは質量によってダイレクトに触り合えるようだ
最近、笛の演奏を聴く機会がありました。
笛の音がダイレクトに私の鼓膜を揺らしました。
倍音をたっぷり含んだ、
甲高く遠くまで届く音の直接振動を経験しました。
それは、びゅうびゅう風が吹く日の屋外にいる気分でした。
「わたしたちはinter-actしかできないと思っていたけれど
波を送ることによって直接触れ合うこともできるのか。」
鼓膜をビリビリ振動させながら、
演奏の最中、
アトモスフィアについてひとつの気づきがありました。
アトモスフィアとは痕跡だと思いました。
世界に刻まれる、
発信源がいなくなった後でも、強く残る残響音。
inter-actは壁を一つ隔てた表現の伝達です。
1つの映画には見た人の数だけ解釈があるように、
受け取り手が何を受け取るかは、受け取り手に委ねられます。
わたしたちは直接触れ合うことはできない。
何一つ共有できない。
宇宙は、メディア層を介して隣の宇宙と交流する。
それが、inter-actの面白さと切なさです。
だけれど、振動はダイレクトに僕らを繋ぐとわかりました。
そして、振動を発生させる根源。
それが質量の正体なんだと思いました。
質量に興味がわきました。
質量をこさえてみたくなりました。
◆標本を残そうと思う
5月のはじめ頃、わたしが古代文明に対して
「つまらない」とひどくイライラしていたのを覚えていますか?
そこから考え直しました。
心が乱されるのは取り合うからです。共感を提供しようとし、共感を求めるからです。
まだ、自分の理想を誰かに押し付けようとしているのかと呆れました。
もう、人間を風景だと思うことにしました。
人間は、タンポポと一緒。そこにある風景。
たんぽぽ相手にイライラしても仕方ありません。
たんぽぽに依存せずに、自分で自分が思う面白いを自己生成してください。
人間は、古代文明を懐かしく思う時の色どりの一つとして、味わい深い景色を構成する要素として愛でることにしました。
それに伴い、人間世界で何かをどうこうしようと思うことは一切辞めることにしました。
何度目の宣言だろう。またか、と思われるかもしれませんが、こうやって何度も言葉にしていくことで少しずつ、見える景色は変わってきています。
人類の意識のバージョンアップ活動も、コミュニティづくりも、居場所づくりも、仕事づくりも、会社作りも一生懸命やったし、どういうものかわかってしまったので人間世界上でもうやることがありません。
これでいこう。
と思いました。
リセットします。
人間と人間世界に対して抱いていた
あらゆる期待を破棄します。
決して、悲観的でも自暴自棄な気持ちでもないです。
淡々と、その方がいいと感じました。
そう流れるのが自然だなと思いました。
これまで、経済循環=心の循環など、
人と人の間を行き来するものについて
色々考えてきました。
これについても最近は、
人と人の間を行き来するのは、
<問題解決、役に立つこと、対価、お金、ありがとう、感謝、恩、情、気持ち>
そういうものじゃなくて
「イメージ」だけであることが健全だなと思っています。
その人の心の中でだけ見えるイメージ。
それを景と呼んでいます。
その景を、
言葉を使って、態度を使って、表現を使って、
通信し合う。
僕の理想の生き方を成立させるためには
人と人の間を行き来するのは景だけでいいです。
人間としての遊びはそれで十分楽しいです。
こんな感じで、世界を変えてつまらないを解消するのではなく
自分側を変えてみました。
そして、今、
景を標本のように表現して、古代文明に保存したいという強い気持ちの中にいます。
◆表現したい、"アロンネス"と"関係ない"という景
今、表現してみたい景があります。
それは「アロンネス」と「関係ない」という景です。
景とは、心の中でだけ見えるイメージです。
自己探求を続けると、一度アロンネスに立ち寄ります。
全は一、一は全、すべてはわたしだというところです。
ひとりぼっち宇宙です。
静かな安寧の全知全能の場所です。
わたしは、ここの感じが結構好きです。
人間として生活しているときにはあまり味わえないし、この景を表現して、
LassLosの列車の中に標本として書き込んでみたいです。
でも、一が全になったってワンネス∽アロンネスです。
「そうか、この宇宙はわたししかいなかったのか」と
心の境界線が解けて、人類が補完され一つに統合された結果、
手渡されるのは、全部自己責任という解放と責任の自由です。
全てが関係のあるものになってしまいます。
先日、出来心で
そこから一歩踏み込んでみました。
身体は重力に沿って地に。
頭は閃きに沿って天に。
完全に任せてみました。
どちらも結局、わたしが形を変えて現れているだけなので
わたしがわたしに任せるという自作自演なのですが
この時、
全部任せちゃってるから「全てと関係ない。」
という新しい景が生成されました。
関係ないことなど
はじめてでした。
「関係ない」ところにたどり着きました。
たぶん無我ってそこなんだと思います。
そこではじめてわたしを終わりにできました。
ちょっとびっくりしました。
これはただの興味本位です。
もう存在しなくていいよ。と
存在を店じまいして、肩の荷を下ろしたくなるのも、
ビックバンの時に、形を持ちたいという欲求で宇宙を始めちゃったから、その時の余波で、無くなること・終わること・消滅することは望ましくないことになっていき、続けたい・残したいという価値観が古代文明の土台にあるからだと思います。
今回のコロナでわかりましたが、
たぶんもう人間は自然に滅べません。
滅ぶことを防ぐ知恵が発達してしまいました。
無くなることに対する拒絶意識が閾値を超えています。
もう、人間が人間を終わらせることはできないでしょう。
だから、わたしを終えることができるシナリオはメリーバッドエンドで、
別の世界線としての一つの架空宇宙なのだと思います。
この、関係ない・わたしが終わる場所。
まだ、あんまりスムーズに行ったり来たりできないので、
もうちょっと研究を続けていこうかなと思っています。
◆脱力
「なんだよ、結局人間だったら同じ道を通るんじゃんかよ。」
自分を探して、愛に目覚めて、心の平穏を得て。
そして、人生にスパイスを振りかけながら、今を楽しむ。
重力に引っ張られながらも、
揺らぎ、戸惑い、振り子のように揺れながら
わたしがわたしに会える方向に向かってじりじりと進んでいく。
結局、みんなその旅の途中なのですか。
わかります。
あの人の悩みが、苦悩が、
過去の重力に引っ張られながら、未来に希望を信じて
今を生きている重みが。
それもまた、その人の旅の途中の通過儀礼なんでしょう。
わたしはもう、そこは観光しちゃいました。
一緒に楽しめないのが残念です。
ふわふわふわり。
生き急いだ結果、そういう生き方にしちゃいました。
ならば、
どうせそっち側に舵を切るなら、重力から解き放たれて、吹っ飛んで行ってやろうかな。
平和のその向こうに。
宇宙のその向こうへ。
そして、わたしのその先へ。
その景を古代文明に書き込んでいきます。
そう思いながら、LassLosを彫刻しています。
何かinter-actしたら教えてください。
それではまた。
敬具
サカキ
広大な仮想空間の中でこんにちは。サポートもらった分また実験して新しい景色を作ります。