20211114|十日夜の月
駅まで行けば喫茶店はあるものだと思っていた。
待ち合わせ時間まではそこで時間を潰せばいいだろうと考えてた。
駅に着いた。
喫茶店は無かった。目視では確認できなかった。
ググってみた。
喫茶店は無かった。デジタルで拡張した目にも見えなかった。
それにしてもマックもないのか。いや、ここは関西だからマクドか。
イオンはあった。しかし朝のイオンはまだ静かだ。
世界にイオンしかなくなった後の生活しか知らないわたしは、そうなる前の生活を想像することができない。買い物もできて、レストランもあって、住めて、学校もある、職場もある。全てが揃ったイオンの中は快適だ。イオン時代以前の人々は、なぜバラバラな場所に店をつくっていたのだろう。昔の地図を見ると、道路というものがありそれに沿って点々と店が配置されていたことがわかる。山と思われる場所にポツンとひとつだけ店があることもよくあったみたいだ。誰がわざわざこんなところまで行っていたんだろう。謎だ。理解できない。
「移動という楽しみを、昔の人は味わっていたのよ」
おばあちゃんはそう言っていたが、移動だったらわたしもする。西モールから東モールへ。1階から16階に移動だってする。景色が変わるのは楽しい。それはわかる。
だけどそれはイオンの中で十分じゃないか。どこに繋がっているか分からないような道をわざわざ遠くまで進んでいって、またわざわざ帰ってくる。この間の無駄な時間に人々は何を思っていたんだろう。店と店の間はひどく離れていて隙間だらけに見えるけれど、この空白の場所には何があったんだろう。太陽フレアによって世界中のデータがふっとんだあの事件以前の人間が何を見て、何を考えていたのか。今わたしはとても興味がある。あの時代から学ぶことは特にないよ、とみんなは言うけれど、わたしはそうは思わない。これは直感的なもの。
余白、隙間、無駄。最近気になっているキーワード。今はみんな、西モール6階の余白屋で余白を買っているけれど、昔はわざわざ購入しなくてもみんな余白を自分で見つけたり持っていたりしたっておばあちゃんは言ってた。余白を持っているってどういうことだ?彼らがもっていたのなら、わたしも実は体のどこかに余白がついていたりするのだろうか。わからない。どこだ。何考えてたんだよ昔の人。これは調べるしかない。
だけど、記録がなさすぎるんだよな。なんでもっと紙に印刷しておかなかったんだろう。のんきだったのかな。写真に撮って保存しておけばいいかとサーバーを信頼しすぎていたんだ。デジタルには質量がないことを、まだちゃんとわかっていなかったのかもしれない。
フードコートでさっきヴィレッジヴァンガードで買ってきた2021年の写真集を開封する。数少ない現像された写真が集められたこの一冊。1ETHもした。これはまたプログラム書いて報酬を得ないといかん。
何もオーダーしないのも忍びないのでコーヒーでも買ってこようか。
それにしてもマックもないのか。いや、ここは関西だからマクドか。
イオンは沈黙を守っている。朝10時まで開店しないつもりか。
あれ?イオンにいるんじゃなかったっけ。駅前に喫茶店がないことがショックすぎて妄想の世界に意識を飛ばしすぎた。そうだね、なんでも写真に撮るばかりで、今どんな気持ちで目の前のものと対峙しているのか、じっくり観察しないのはもったいないね。紙にも鉛筆で文字を書いて記録を残しておこうと思うよ。
後でこの妄想をnoteに書くだろうと思ったから、とりあえず一枚イオンの写真を撮る。
どんな写真が撮れたか確認せずに画面を閉じた。後で見ればいい。記録だからとりあえず撮れてれば問題なし。
さて、友達が来るまでどこで待っていようかな。
イオンはまだ開かない。
広大な仮想空間の中でこんにちは。サポートもらった分また実験して新しい景色を作ります。