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神道の原点

先日書いた『大感謝』について、考察を重ねております。

身体の芯が震えるほどの『感謝』を体験してみて、あらゆる宗教が、教義や経典の中で『感謝しなさい』と書いてあることを思い出しています。

『感謝する』という概念は言葉の上では理解していましたが、実際の体感はしていませんでした。

今回、私が遠方から来たということで、宇龍港の漁師の方達が船を仕立ててくださり、島に渡り、熊野神社に参拝することができました。

このさりげない、無償の行為を受けて、体の芯から震えがくるほどの『感謝』を体感しました。

突然、この島へ参拝に来た、どこの誰ともわからない男を、無償の行為で、船を仕立て、階段を清掃しながら、本殿に案内してくださいました。

この神社には社務所もなく、お札もなければ神官もいない。もちろん賽銭箱もありません。

参拝を済ませ、宇龍港の皆様にお礼を申し上げ、自分の車に戻りましたが、神道の原点を発見した喜びを感じています。

神道には経典も教義も無く、来る者は拒まず、悪魔や悪神などは無く、自分だけが助かるなどという作法も有りません。
小石や木屑なども含め、全ての万物が同じ価値を持ち、動・植物なども同じ自然の一部であり、人間も死ねば自然に帰ります。

神道とは、日本人独特の考え方であり、宗教ではなく、自分の生き様を自己チェックするための考え方であります。
日本人は、宇宙を含む自然を偉大な力(神と言う人もある)と認め、自分も自然の一部であることを認識しています。
自分の生き様をチェックするために神社に立ち寄ることもあり、神社を大切にする考え方です。

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