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秀吉の戦略

ポルトガルトスペインは、武器とキリスト教を持ち込み世界を植民地化しようと目論んだ。

ところが、ポルトガルからは東の果て、スペインからは西の果てにある日本に到達した時点で、日本を植民地にできないことを理解した。

日本の武力が想像以上強くて鎮圧できなかったからだ。また日本人の倫理観が素晴らしくてキリスト教に改宗する人が少なかった。

「洗礼を受ければ神の国に行ける」と日本人を説得しようとしたが、日本人は「自分だけが洗礼を受けて助かることはできない。洗礼を受けずに死んだご先祖はどうなるのだ?」と質問するらしい。

これに閉口した宣教師達は、日本だけは特別に「洗礼を受けなくても天国に行ける」と許しても良いかとの質問状がイエズス会の本部に残っている。

なかなか懐柔できない日本人を、奴隷として売買すれば儲かることに気づいた彼らは奴隷貿易を始めた。ポルトガル人、カンボジア人などが奴隷商人だった。

イエズス会宣教師が奴隷貿易に関与していたことは、これまでの研究でも明らかにされている(ルシオ・デ・ソウザ、2013)。ポルトガル商人の購入した日本人が合法的に奴隷身分とされることを保証するために、宣教師が奴隷交易許可状を発給していたのであった。奴隷商人とイエズス会は、明らかに馴れ合っていたのである。(平川新 戦国日本と大航海時代 中公新書)
1590年10月14日付のヴァリニヤーノからイエズス会総長宛に出された書簡によると。コエリョは大量の火縄銃の買い付けを命じるとともに、有馬晴信や小西行長などのキリシタン大名に反秀吉連合の結成を呼びかけた、とある。武器弾薬の提供を申し出たのであった。しかしキリシタン大名らはみな、これを拒否している。(平川新 戦国日本と大航海時代 中公新書)

日本人売買禁止について

バテレン追放に関する「一八日覚」では、次のように日本人を奴隷として売買することを厳しく批判し、その停止を命じている。「大唐、南蛮、高麗え日本仁(人)を売遣し候事、曲事。付り、日本におゐて人の売買停止の事」(平川新 戦国日本と大航海時代 中公新書)

なんとか内乱を起こして、日本を植民地にするべく努力をしたが、実現しなかった。

明治維新もこの流れが、働いているような気がする。外圧にうっかり載せられ思慮の浅い軽輩達が、天皇家と将軍家との絶妙なバランス体系にあった日本を壊してしまった。

ここいらも調べてみる項目に追加した。




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