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倫理社会を目指す

「世界でもっとも注目を浴びる天才哲学者」、「新しい哲学の旗手」という触れ込みでマルクス・ガブリエルが注目されている。

彼は新しい『実在論』について力強く論を展開しているが、しかし時々文中に違和感を覚える表現がある。

あらゆる物事を包摂するような単一の現実は存在しない。(世界史の張りが巻き戻るとき p.42 マルクス・ガブリエル) 現実は一つではない(同 p.43 )私たちは現実をそのまま知ることができる(同 p.43 )

色々な世界があると主張しているが

一つのレベルしかない明白な事実というものは、存在します。(同 p.112)

世界は一つに収束すると考えている。

何が真実であるかなんて重要ではないのだから基本的には全てがフェイクだと思え、という考えで話しています。(同 p.59 )

更に、相手を疑い、信用しない立場にいながら「倫理社会を目指すことが重要」だと認識している

他人の気持ちを読もうとすることはアンフレンドリーであると思われるので、してはいけないと考えられています。(同 p.112 )倫理を学科として確立せよ(同 p.92, 93 ) 道徳は教えるか否か選択できるものではなく、教えることが必須なのです。(同 p.43 )

他人の気持ちや立場を考慮せずに、倫理、道徳を教えることが必要であると論じるが、矛盾に気づいているのか、日本に目を向けている。

日本文化は非常に発達していて、誰もが美の共通認識を持っており、食べ物も、庭園も、全て完璧に秩序が保たれている。それが日本文化の素晴らしい面であり、よい面です。でも暗黒の力もあるのです。抑圧されたもののすべてが、その力です。時間に遅れてはいけない、問題を起こしてはいけないと、まるで精神性まで抑えるかのような力です。(同 p.191, 192 )

日本に注目するが、日本人の考えの原点に気づいていないので、その反論を考えていたところ、東北大学名誉教授の田中英道氏がまとめていた書籍があった。

神道は、自然そのものがいわば「聖書」です。人間の肉体、頭脳もそれに沿ったものと考えます。それも自然に、です。主として母親から教わり、教師からではありません。日本人は聖書や経典のような、書かれたものを信じることが少なく、「言葉」が「言の葉っぱ」として認識されているのです。日本には言葉による思想は育たないのです。日本の知識人がマルクス理論を信じたり、カント哲学を論じたりしますが、それも一つの「理論」信仰と言っていいでしょう。キリスト教を信じることと、マルクス主義を信奉することは、さほど遠いものではないのです。ともに書かれたもの、文字によって創られたものを信じるからです。(日本が世界で輝く時代 p.30  田中英道)

日本人は自然を尊び、自分も自然の一部であると考え、全てのものに畏敬の念を抱き、相手の意見をよく聞き、お互いの立場を考慮する平和的な民族だということだ。







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