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信じるの?

日本語で日常よく使う似た言葉に、『信じる』と『信用する』があるが、意味が全く真逆に違うことに気づいた。

しんずる【信ずる】(動サ変)[文]サ変 しんず
①疑わずに本当だと思い込む。心の中に強く思い込む。「おのれの—ずる所に従って行動する」「サンタクロースを—じている」
②疑うことなく、たよりとする。信頼する。「—じていた友人に裏切られる」「わがチームを—じている」
③神仏などをあがめ尊び、身をまかせる。信仰する。「仏教を—じている」「神を—ずる人」

大辞林

しんよう【信用】(名)スル
①人の言動や物事を間違いないとして、受け入れること。「彼の言葉を━する」
②間違いないとして受け入れられる、人や物事のもつ価値や評判。「━がある」「━を落とす」「商売は━が第一だ」
③給付と反対給付との間に時間的なずれのある取引を成立させる信頼。→クレジット・信頼(補説欄)

大辞林

信じる(信ずる)は前提が、疑わずに、疑うことなく、身を任せる。
とあり、全く自分の意志を放棄した状態をいい、
信用するは、自分の意思で間違いないと判断して行動に移っている。

ここから引き出せるたった一つの解釈
「私を信じなさい」、「・・を信じなさい」という言説は信じてはいけないということだった。自分の意見を持たずに、全て他人の言いなりになるのだから、思考回路は単純で悩みはない。命令に対して全てイエスで方がつく。

別の観点から見ると、自分の意志で動ける人を自由人といい、自由意志を全く持たない人、持てない人を奴隷という。

大辞林の言うように
神仏などをあがめ尊び、身をまかせる。信仰する。
ことを信じるといい、奴隷状態にあるといえる。

最近、宗教問題でニュースが賑やかだが、「信じるということは、自分の意志を捨てて、奴隷になることだ」との認識が広がることが望ましい。


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