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灯台船

有ったー! 『灯台船』
40年ほど前、友人のTと奄美大島へ船で旅をした。大阪から出航し2泊3日の船旅だった。今ほど旅客船が普及していなくて使ったのは関西汽船の貨客船だった。祖母からの厳命で「船だけは1等に乗れ」ということだったので特別1等に乗ることにした。なぜなら、「飛行機は落ちる時は全員一緒だけど船は1等船客から救助するのが国際ルールだから」ということだった。

部屋は事務長室の隣で毎食事は船長と一等船客と事務長で特別食堂で取る。風呂もキャビン内に有り自由に入り放題。若かった我々は船内探検をしてそこらじゅうを徘徊していた。出港時間になっても出港しないなと思っていたら、事務長が我々を探し当てて「今から出港しますがよろしいですか?」と質問してきた。船客代表意見がないと出港できないそうだ。出航の遅れの原因が我々だったとは悪いことをした。

内海を走っているうちは波が静かだったが外海に出たあたりから大きなうねりが始まった。熱帯低気圧が近くにあるらしい。波の頂上に出ると周りが全て空、飛行機に乗っている気分。波の底に行った時は窓の外は全て水、潜水艦に乗っている気分だ。上下差が激しい。「船に弱い人は大変だろうな」と思いながら食事は毎回食べた。

船が大揺れに揺れているので、寝ると頭からベッドにゴーンとぶつかる。すぐに反動で足の方へ滑ってゴーンとぶつかる。身長が伸びなかったのはきっとこのせいだ。後は、左右にゴロンゴロン。ピッチングとローリングで、ゴーンゴーン、ゴロンゴロンと続く。これが一晩中繰り返す。私は器械体操をしていたので空中姿勢制御は得意な方でこの程度は何ともなかった。

次の日の朝は事務長が食事にこなかった。船酔いだそうだ。食事中もこの揺れが続いている。船長は流石に体力がある。

嵐を避けるため緊急で種子島に避難することになった。数時間経ったところで事務長が我々を探しに来た。「出航してもよろしいでしょうか?」と船客代表意見を求めに来た。「こんな状況で出て大丈夫ですか?」と聞いたところ「大丈夫ですよ」と軽くいうので賛意を表明した。

出航して外海に出たら、何のことはない、先ほどと変わらずゴーンゴーン、ゴロンゴロン。最後まで全部食事を食べに来たのは私だけだった。

航海中暇な時にTと「こんな嵐の時、灯台が壊れたらどうするんだろう?灯台がないと航行が危ないね。」などと話し、「きっと灯台船があるよ」と言ったのが私、「そんな話など聞いたことも無い。灯台船など無いよ。」と言ったのがT。

灯台船が有るか無いかで賭けをした。彼に1000円を預けた。そのまま、彼とは40年間連絡が取れない。

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