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健全なる精神は健全なる身体に宿る

「ことが望ましい。」という語尾が省略されている。

古代ローマの詩人ユウェナリスの詩が原典だという。

もとは、精神と身体の共存両立は実際には困難であることを承知の上で、「健全な精神が健全な身体に宿りますように」と願望や祈りを込めたものだった。(岩波 ことわざ辞典)

このように身体と精神には関連性が薄いことは理解できた。

それで、スポーツ観戦などという娯楽が発生したのだ。

本来スポーツは自分が楽しむものだと思っていた。最近はプロ選手なるものが出てきてそのプレーを見せるのだ。

スポーツとは健全な身体をつくるためなのか、プロの演技を楽しむものなのかまるで目的が違う2種類が存在する。さらに放映権、スポンサー料など商業目的にも利用されるようになっている。

古代ギリシアで発生したオリンピックに、プレイヤーと観戦者に別れた原点を見ることができる。

オリンピックの起源 古代オリンピックは紀元前776年に古代ギリシアのエリス地方にあるオリンピアで始まったとされている。オリンピアはゼウス神の聖地であり、オリンピア競技はゼウス神に捧げる競技祭として始まったとされる。それは4年ごとに開催される汎ギリシアの祭典競技であった。古代ギリシアではポリス間で慢性的な争いが起こっていたが、祭典のために「エケケイリア(聖なる休戦)」と呼ばれる休戦期間を設けた。出場者はポリスの自由市民に限られており、優勝者にはオリーブの冠が授けられた。紀元前8世紀のオリンピックは貴族である競技者が名誉のために戦った。しかしそれ以降、ポリスの民主化と共に競技者の階層も広がった。(日本体育大学)

各種スポーツをプロとして演じて行くのは普通ではできない。それぞれのスポーツに特化した練習、訓練をして、とても健康とは言えない身体に改造する。

満身創痍で演じているプレイヤーを見ると、同情を禁じ得ない。

今年日本で開催される予定だった東京オリンピックがコロナの関係で延期された。選手達は今年に向けて仕上げていた身体を来年用に仕上げ直さなければならなくなっている。

肉体的にも精神的にも経済的にも大変な負担が選手達にかかっている。彼らの無事を祈りたい。





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