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特攻隊

この時期になるとなぜか思い出してしまう。

私の父は特攻隊の生き残りだった。
幼い頃に聞かされたことがある。

父はあまり多くを語らなかったが、夕方、一緒に散歩をしている時に自分が特攻隊員だったことをポツリと口にした。意味はよくわからなかったけど、重大なことを言っているのはよく伝わってきた。

怖そうな話なのでこちらから詳しく聞き出すことはしなかった。父の気の向いた時に話してくれた断片的な話を頭の中で再構築している。

父は大正末期生まれで、陸軍に所属して爆撃機『呑龍』の搭乗員だった。
飛行機乗りは視力が非常に大切で、夜間攻撃遂行のために視力強化訓練をさせられたそうだ。
視力強化するには、日没後、松根油から作られた目薬を差し、瞳孔を開かせておいて夜空の星を観測するそうだ。最近の仮性近視の矯正法とよく似ている。

「なぜ特攻に行かなかったの?」と聞いたら「出撃する前に終戦になってしまった。」とのことだった。おかげで私が存在するのだが。

戦争映画やメディアでは戦闘機で体当たりをした話が多いが、爆撃機で特攻をした話は聞いたことがない。

父が生きていれば、そこいらの事情を聞くことができたのだが、その頃はあまり興味がなかった。

特攻基地に出頭すると、自宅には戦死通知が届き、本人死亡として戸籍が抹消されたことが父から教えられた。逃亡しても生きていけないように死亡者として扱われるのだ。

今回入手した『特攻セズ』非常に興味深く読んでいる。
よく調べているが、『呑龍』が特攻出撃しなかった理由がまだ不明のままである。

多分、戦闘機を大量に消費してしまい戦略が破綻してしまったので、爆撃機に爆弾をたくさん積んで、強力な破壊力を行使しようとしたのだろうけれど、飛行速度が遅いので敵戦闘機の餌食になってしまうことが明白なのだ。それで止めたと思うのだが、父がいない今ではこれらの資料に頼るしかない。


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