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吉野ヶ里遺跡🏺 2023/6/17

吉野ヶ里遺跡自体は随分前から発見されてはいたらしいのだが、ここが全国的に話題になり有名になったのは1989年(平成元年)に巨大な環壕集落跡が見つかったときだ。

👆新聞の一面トップを飾るほどの大ニュースだった。

ブームにあやかって「男はつらいよ」のロケ地になったりもした。

👆ゴクミ可愛い

その頃に一度見に行ったことはあったが、当時はあまり遺跡に興味がなかったのか、ほとんど覚えていない。
大人になってからも一時期遺跡のすぐ近く(徒歩圏内)に住んでいたことがあったのだが、やはり一度も中に入ったことはなかった。

初めてまともに遺跡を見たのは今年の冬だ。
最近になって発掘のニュースが相次ぎ、再度じっくり見ることにした。

ここに来るのが昼食前なのであれば、ぜひ古代貝汁御膳をたべたい👇

👆弥生時代をイメージしたという。黒い棒のような魚はムツゴロウだろうか。

貝汁御膳は限定30食なのですぐに売り切れてしまうが、それ以外のメニューも美味しい。

👆正直冬に来たときに食べたハンバーグ定食の方が美味しかった。

入場ゲートを通って園内へ向かう。

👆この過剰に整備されてない感じの川が弥生時代を思わせテンションが上がる。

クニの周囲は塹壕に囲まれている。

👆逆茂木。集落のバリケードの役割を果たす。
👆南の「守り」

このイノシシのオブジェは決して意味のないアトラクションではない(多分)

👆実際この辺りの山に登山すると今でもかなりの確率でイノシシ に遭遇する。

展示館は園内に数か所あるが、入口付近のやつもまずまずの見応えだ。

👆吉野ヶ里遺跡展示室。
👆この衣類は魏志倭人伝の記載を元に復元したそうだ。
👆スミエノエガキ。有明海にいる。貝についての話は後ろの方でまた書く。

次は人気スポットのひとつ、南内郭。

物見櫓に登ってみる。

👆こうして見るとのどかな風景なのだが・・・
👆隣の広場で場違いな大音響のロックイベントをやっていて雰囲気は台無しだ(´・ω・`)

大人(たいじん)の家と大人の妻の家。

👆大人(たいじん)の家の中
👆大人の妻の家の中

とにかく入口が低く出入り時に頭を打ちそうになる上、中は蒸し暑く居住性は最悪だという感想しかない。この時代に生まれなくてよかった。

集会の館👇

👆今でいう国会議事堂的なやつか。

「王」の家も若干物が多いくらいで、居住性の悪さは似たようなものだ。

王の家の周りには煮炊屋・酒造り・養蚕・機織の家などがある。

👆煮炊屋
👆酒造りの家。女性たちが米を蒸して作っていたらしい。
👆養蚕の家と機織の家。養蚕は5千年近くつづく古い古い技術だ。
弥生時代に中国から日本へ伝わった。
👆周囲を取り囲む環濠
👆さすがに通路部分だけは環濠も塞いである。

南内郭と北内郭の周囲には高床倉庫郡がある。

👆入ってみると竪穴式住居と全然違ってとても涼しいのにびっくりする。
高床式は画期的なテクノロジーであったのだろう。

北内郭。 南と比べるとまつりごと用の施設が多い。

👆北内郭で唯一の竪穴住居。最高司祭者の従者の住まいであったと考えられている。

主祭殿。最高司祭者が祖先の霊に祈りを捧げる儀式が行われていた。

👆古代中国の事例等を参考に高さ16.5mで復元されている。
👆神がかりの様子も再現されている。

「最高司祭者」だけは高床式の家に住んでいたと考えられるそうだ。

👆当時としては非常に快適な住まいであっただろう。

古代中国や、他の遺跡からの出土資料をもとに内部も復元されている。

👆最高司祭者の部屋には外光を取り入れる窓はなく、昼間でも灯りをともしていたと考えられている。

北内郭の櫓。

👆狭くて怖い。
👆ここでも環濠が印象的だ。

そこから北へ300mの甕棺墓列が続く。

👆甕棺は弥生時代の北部九州だけに見られる特色的なものらしい。
👆カプセルみたいな形の棺だ。たくさん埋まっている様はエイリアンの卵にも似ている。

甕棺墓列を抜けた先にあるのが北墳丘墓。

👆この内部が吉野ヶ里遺跡最大の見どころだ。
👆永い眠りから覚めた彼らが語りかける当時の世界をご紹介します!
テンション上がる↑↑↑

2100年前の王の威光。

これは!今まさに現在進行系で発掘が進む通称「謎のエリア」だ。
しかしこの日は発掘はやってなかった。残念。

👆フェンスの隙間にはびっしり蜘蛛の巣が張っており、カメラのレンズにつかないように撮るのに苦労した。
👆このように、発掘現場まで車(トラック?)で直接入れるようになっている。
👆観光客の99%はここで引き返す。
👆まあ気持ちはわかるのだが…
👆実はこの先にもすごいものがあるのだ。

いよいよだ。

👆一見なんの変哲もない原っぱにしか見えないが、
👆実は1000基以上もの長大な甕棺墓列だ!

ここから先は保全のために発掘は行わず、地中レーダー探査で甕棺の位置を特定しているとのこと。

👆ここにも甕棺がずらりと埋まっている。

ここから古代の森ゾーンへ入る。

👆正直、子供の頃から見慣れた風景そのもので、何が古代なのかわからないw

古代の森体験館。併設された古代植物館は、古代の食生活がよくわかりとてもおもしろい。

👆吉野ヶ里遺跡展示室と同じくらい見応えがある。
👆吉野ヶ里遺跡展示室にもあったスミノエガキがここにも。
やはり干潟や河口域に住む貝が多い。
👆実際には「古代貝汁御膳(1600円)」ほど豪華な食事は当時はありえなかっただろう。

これらの貝が出土するということは、今では随分離れている有明海の海岸線が、昔は吉野ヶ里の近くまで迫っていたということだろう。

👆今はとうてい海まで歩いていける距離ではない!

南内郭の西に広がる倉と市。

👆市楼なんかもある。
👆こんなに発達した太鼓がほんとにあったのだろうか。

兵士の住居はやはり一層居心地が悪そうだ。この時代に生まれなくてよかった。

👆竪穴住居は夏涼しく冬暖かいといわれるが、本当だろうか。
冬はともかく、夏は暑かったんじゃないか。じっさい高床式のほうがはるかに涼しく感じた。

南側の「弥生の大野」は吉野ヶ里遺跡でいちばんだだっ広くつまらないエリアだ。

👆この日も場違いな喧しいイベントをやっていた。

邪馬台国のあった位置は諸説ある。 が、私はあえてここにあったのだという説を取りたい。 その証拠に卑弥呼の湯もある♨

👆ここもいいが、山の上にある「山茶花の湯」も近い。露天風呂からの眺めもいい。


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