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〜先ずは分けよう〜 「私」と「あなた」

1.「私メッセージ」と「あなたメッセージ」

日常のコミュニケーションで、いつも他者とぶつかってしまったり、喧嘩になったり、うまくお互いの気持ちのやりとりができない時、自分の伝え方、聞き方について振り返ってみるいい機会かもしれません。

相手に自分の気持や思いを伝える時、「主語」はどうなっているでしょうか。

例えば、仕事の段取りが悪く、時間がかかりすぎる人に対して、「〈あなた〉はどうしていつもそんなに段取りが悪いんですか!」と言った場合、主語は「あなた」になっています。これを「あなたメッセージ」と名付けておきます。

上記の伝え方のその主語を、相手ではなく、私に置き換えて伝えてみるのです。

例えば、「〈私〉は今とても困っています。もう少し段取りよくやってもらえたら、〈私〉はとても助かるんだけど」という具合に。

主語を「私」にして伝えているので、相手は自分が責められている、怒られているという感覚が、先ほどの「あなたメッセージ」で言われるより、いくぶんは違うはずです。これを「私メッセージ」と名付けておきます。

単純化するとこうなります。

「お前はいつも◯◯だ」「お前のここが悪い」(あなたメッセージ)
「私はこう感じている」「こうしてくれたらとても嬉しい」(私メッセージ)

このように、メッセージの「主語」を常に「私」にするように意識していれば、受け取る相手も随分と違う印象で受け取ってくれます。


2.「あなたはそう思うんですね」と受け直してみる。

上記の分け方は、相手から伝えられるメッセージを受け取る時にも有効です。

もちろん相手は「私メッセージ」(主語を「私」にする伝え方)など知らないかもしれません。でも大丈夫。こちらで「変換」すればいいのです。これを知っていると、相手から悪口や批判などを受ける時に、必要以上にダメージを受けることを軽減させてくれます。

相手に何を言われても、「あなたはそう思うんですね」と聞くのです。

※「あなたはそう思うんですね」と言葉に出して伝えることで、相手の理解を即す場合もありますが、必ずしも相手が聡明な人である保証はないですし、おそらく相手は機嫌が悪い場合が多いので、自分の心の中で変換しましょう。

例えば、「あなたは本当に頭が悪い」「お前なんて絶対ムリだ」などと相手に言われても、「あなたはそう思うんですね」と聞くのです。これは正確な聞き方です。だって、事実、そう思っているのは相手なのだし、私が相手の言うように◯◯であるかどうかは不明だからです。

仏教を説かれたお釈迦様の有名なエピソードを紹介します。


3. お釈迦きまは「受け取らない」

【悪口は 受け取らないと 相手の元に戻る】

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あるところに、お釈迦様が多くの人たちから尊敬される姿を見て、ひがんでいる男がいました。「どうして、あんな男がみんなの尊敬を集めるのだ。いまいましい」そこで、男は散歩のルートで待ち伏せして、群集の中で口汚くお釈迦様をののしってやることにしました。「お釈迦の野郎、きっと、おれに悪口を言われたら、汚い言葉で言い返してくるだろう。その様子を人々が見たら、あいつの人気なんて、アッという間に崩れるに違いない」そして、その日が来ました。男は、お釈迦様の前に立ちはだかって、ひどい言葉を投げかけます。お釈迦様は、ただ黙って、その男の言葉を聞いておられました。弟子たちはくやしい気持ちで、「あんなひどいことを言わせておいていいのですか?」とお釈迦様にたずねました。それでも、お釈迦様は一言も言い返すことなく、黙ってその男の悪態を聞いていました。男は、一方的にお釈迦様の悪口を言い続けて疲れたのか、しばらく後、その場にへたりこんでしまいました。どんな悪口を言っても、お釈迦様は一言も言い返さないので、なんだか虚しくなってしまったのです。その様子を見て、お釈迦様は、静かにその男にたずねました。「もし他人に贈り物をしようとして、その相手が受け取らなかった時、その贈り物は一体誰のものだろうか」こう聞かれた男は、突っぱねるように言いました。「そりゃ、言うまでもない。相手が受け取らなかったら贈ろうとした者のものだろう。わかりきったことを聞くな」男はそう答えてからすぐに、「あっ」と気づきました。お釈迦様は静かにこう続けられました。「そうだよ。今、あなたは私のことをひどくののしった。でも、私はそのののしりを少しも受け取らなかった。だから、あなたが言ったことはすべて、あなたが受け取ることになるんだよ」

※これは、称賛や高評価(いわゆる言われて気持ちよくなること)にも同様に当てはまります。「え?褒め言葉なら受け取っていいんじゃないの?」。もちろんそれも悪くないのですが、詰まるところ、それも他人の世界の感想。悪いことにも、良いことにも、いちいち一喜一憂しない態度を育む方が、より事実に基づいていて、〈安易に他者に操作されない態度〉で生きられます。


4.   「反応」でなく、「応答」する。

さて、ポイントは「私」と「あなた」を分けるということです。

そう頭で理解しても、日常生活の中ではとっさに「反応」してしまうものです。長らく、そういうコミュニケーションがついているので当然です。なので「意識的」になる必要があります。

「意識的」になると「応答」ができる「余裕」が生まれます。「自動的に反応してしまう」ロボットのような自分から、「意識的に選択して応答」できる人間になるのです。

そのためには「意識的」になる必要があります。意識的になると「スペース」や「距離」が生まれます。「自分」と「自分の考えの癖」との無意識の同一化を離れるのです。これを「スペース」や「距離」と呼んでいます。

そうすることで、これまで自分と同一化していて気づけなかった「自分の内側に起こる感情や感覚に気づく」ことができ、その場に相応しいと思う言行を「選択」できるようになります。

具体的な訓練として、自分と相手を「聞く」ことがあげられますが、「呼吸を感じる」でも「俯瞰する」でも同じことです。つまり「瞑想的」な時間を意識的に持つことが大切です。

最近よく耳にする「マインドフルネス」などとても有効です。

流行した本であるアドラーの『嫌われる勇気』などでも言われる、「課題の分離」というのも、自分と自分以外を「分ける」ことですし、「瞑想」などは自分と自分の感情や感覚さえもより厳密に「観察」して「分けて」いきます。

(二者関係ではマルティン・ブーバーの『我と汝』、またクライエント中心療法を提唱したカール・ロジャーズの自己理論なども面白いのですが、それはまた稿を改めて)


5. 【ポイントの整理】

①   「私メッセージ」で伝える。
②   「あなたはそう思うんですね」と聞く。
③ 「反応」でなく「応答」する。
④ 「マインドフルネス」などを学ぶ。
⑤ 「分ける」と「分かる」。


様々な実践で課題にされることは、まずは「分ける」ことが主題となります。昔から「分ける」と「分かる」といいますもんね。(その分けたもののつながりを観ていくというのはまた、後のお話)

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