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国家百年の計と令和の米騒動

明治神宮の森を造った人たちには驚かされるばかりだ。100年後、自然の森になることを想定していたのだから。対して、某政党総裁候補者のコメントは、短視眼的、弥縫策的、選挙技術的に思えてしまう。有権者が政治のリーダーに一番求めるものは、政治とカネの問題の決着でも、特定の宗教法人との個別具体的関係の整理でも、国防でも、財政出動でもない。

それは我が国をこうしたいという「強い思い」とそのPDCAを回せる実行力だ。そしてその上で多くの有権者は、現実主義的でありつつ未来に希望を持たせてくれる人をリーダーにしたいはずだ。これは難しい。現実的に言えば、日本の未来は決して明るくはないだろう。人口減少、高齢化、労働力不足、脆弱な財政基盤など問題山積だ。

令和の米騒動も落ち着いてきたが、コメは食料安全保障の肝だ。我が国の最重要農作物は最重要だからこそ、生産者と消費者の利害は自ずと強く相反するのだから、その調整弁は行政が担うしかない。気候変動の影響や、農業従事者の高齢化進行度合いを勘案すれば、いま本当に有効な手を打たなければ、数十年後コメは主食でなくなっているかもしれない。○○の米騒動と笑ってはいられなくなる。

そうした悲観論が大勢を占めるが、個人的に私がリーダーに求める資質はただ一つ「日本人であるということはそれだけで、世界的に見てとても恵まれているということ」を我々に実感させてくれる能力だけだ。日本の未来を憂いつつも、日本を離れて日本を客観的に見てきた者のひとりとしてのささやかなアンチテーゼとして。

これまで3か国に合計11年暮らした。いずれの国も文化的・歴史的に奥深く、食事も美味しく、自分の人生の幅も広がった。しかし、海外で暮らす年数に完全に正比例して理解が深まったのは、日本は恵まれているということに尽きる。以前暮らしたある新興国の友人が日本に旅行してもっとも驚いたのは「女児が一人で電車に乗っていること」だったそうだ。

日本人が日本人であるだけで既に十分恵まれているということを社会全体で認識できたら、もっと社会はよくなる。凶悪犯罪は減るだろうし、恵まれない国々への援助もより積極的になるだろうし、脱税は減るだろうし、高齢化社会における共助の精神が強まるだろうし、多文化間でお互いをリスペクトする社会になるだろう。戦争が起こりそうになれば全力で阻止しようとするだろう。恵まれていることが実感できれば、日本の社会全体に余裕が生まれる。

きっと次のような反論があるだろう。「自分は貧しく、一人の日本人としては全然恵まれていない。」確かに貧富の差やホームレス問題など未解決な社会課題は多い。しかし、我が国は恵まれているという認識が社会で共有されていれば、「こんなに恵まれている我が国であってはならない事態は、可及的速やかに解消すべき。」というコンセンサスが生まれ、解決もスピードアップする。そして、「自分は恵まれている、足りている。」と一人一人が実感できる世の中になれば、いずれみんな本当に幸せになれると思う。

日本のコメは本当に美味しい。ブランド米でなくても十分に美味しい。海外駐在中はそこで入手できるコメを(海外のコメ生産者には大変申し訳ないが)やむなく食べていた。日本で日本の美味しいコメを何不自由なく食すことができるのは、ただそれだけで本当に恵まれていることなのだ。だが、それは永久に保障されているわけではない。国家百年の計を切望する。

食料・農業・農村基本法
(目的)
第一条 この法律は、食料、農業及び農村に関する施策について、食料安全保障の確保等の基本理念及びその実現を図るのに基本となる事項を定め、並びに国及び地方公共団体の責務等を明らかにすることにより、食料、農業及び農村に関する施策を総合的かつ計画的に推進し、もって国民生活の安定向上及び国民経済の健全な発展を図ることを目的とする。











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