「田中さんは、自分のお金でお飲みになられていたからです。」
【弊社代表田中の個人ブログです。】
昨日、嬉しいことがあり、週末にしては珍しく行きつけのホテルのバーに来た。ここに通いだしてから、今年で15年目になる。
投資銀行で働きだしてからの期間、ほぼそのままだ。
間違いなく、60本はボトルを入れたはずだ。
きっかけは、当時、隣のアーク森ビルにある、上場準備中のクライアントの担当をしており、時々、このホテルを仕事で使う様になり、そのまま使っている。そしてそのクライアントも無事上場した。
近くには、グランドハイアットや、その後リッツカールトンやプリンスギャラリーも出来たが、浮気せずにこのホテルのバーを使っている。
正しくは、多少は浮気したが、その度にまた戻って来たという説明になるが。
オフィスがある大手町からは導線が外れており、知り合いには会わないということもある。
当初は36階のスカイラウンジだったが、4年前から3階のメインバーに移った。
個人的な嗜好ではあるのだけど、私はほとんどバーボン一辺倒だ。
明大前の大学教養課程に通っていたとき、初台の4畳半風呂なし共同トイレ家賃2.2万円のアパートに住んでいたが、新宿から歩いて来れるので、よく終電逃した友人が転がり込んで来た。
そのうちの一人がある日、
「親父のサイドボードにある酒、だまって持って来た。これ飲もうぜ。なんかニワトリみたいな絵が描いている。」
これがワイルドターキーとの最初の出会いだった。おそらく最初に飲んだウイスキーである。
焼ける感じとトウモロコシの風味が良く、既にこれはニワトリでなく七面鳥であることなど、どうでもよかった。
こんなうまい酒があるのかと。それ以来の七面鳥との付き合いである。
今から思えば、こんなボロアパートでの出会いで、七面鳥には申し訳なかったと思っている。
なんせ、家賃よりボトルの値段の方が高かった。
しかしブームは去ってしまい、それ以降盛り上がることもなく、バーでバーボンばかり飲んでいるのは私くらいらしい。
クライアントが上場した時のお祝いも、自分の誕生日も、お袋が亡くなった時も、案件が取れなかった時も、そして娘の大学合格が決まった時も、ここに来た。
要は嬉しい時も哀しい時も、そばにいてくれないとダメな酒なのだ。
私が、自分でファンドを立ち上げた時、お祝いにシャンパンを開けてくれたスタッフは、今はすっかり偉くなりメインバー、スカイラウンジの責任者になっている。
ご存知の通り、ホテルのバーのボトルの値段は、スーパーのそれの10倍以上である。
ウイスキーだけを飲みたいのであれば、
スーパーで買って、家で飲めばいいだけの話だ。10本買える。
しかし私は自宅でウイスキーを飲むことはない。
ホテルのバーとは何を売っているところなのか。
スタッフとのコミュニケーションもあるだろうし、仕事でもプライベートでも、大切な人との大事な時間かもしれないし、あるいは、誰にも邪魔されず自分と向き合う場所なのかもしれない。
それはおそらく一生かかって、最後にわかるものなのだと思う。
仕事をしていれば、当然良い時も悪い時もある。
私はこのホテルのバーに、かなり助けられた。
リーマンショク前に羽振りが良かった外資の連中は、それ以降、ことごとくいなくなった。
その後、すぐ近くにサムスンがあって、しばらくは幅を利かせていたが、今は見る影もない。
私も会社を起こしてから、しばらく行けない時が2年くらいあった。
でも、なんとか業績を戻し、久しぶりにバーに行ってみたら、
「田中さん、お帰りなさいませ。お待ちしてました。」
と笑顔で迎えられ、以前のボトルが出てきたのである。
驚いた私はスタッフに聞いた。
「なぜ、ボトルを残してくれていたの?」
「田中さんは、自分のお金でお飲みになられていたからです。必ず、またいらっしゃると思ってました。」
その時、私は
「このホテルのバーと一生付き合って行こう。」
と決めた。
会社のカネで飲んでいるヒトは、会社の業績や人事によって急に細くなったりするが、自分のカネで飲んでいるヒトは、行きつけのバーを裏切らないらしい。
ホテルのバーでも10年通い続ける客は、極めて珍しいらしい。
なるほど。
カウンターの中から見える景色と言うのは、結構、世の中の本質が映っているのかもしれない。
オトコは40過ぎたら、行きつけのホテル、バーを持つことは大事だと思う。やはり、この場所で学ぶことは多い。
そして一番大事なこと。
酒は、「自分のカネ」で飲むことだ。
【お知らせ】
弊社代表の田中が登壇した、10月24 日に開催した「スタートアップM&A」を、改めて11月28日に開催します。
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