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《Sacellum et Clibano》によせて

AROMABLENDBARでフルオーダーした香りが到着。今回は元々広視野・多視点の着想だったので、どこを削ぎ何を残すか検討するのが難しくもあり楽しいところでした。バナナブレッドとインセンスが柱のスパイシーアンバー系の香りになりました。

それで到着したその夜に香りを堪能しながら感想などを書いていて、連ねるうちにほんのりお話めいてきまして。メモ以上にする気はないしそのまま出すのは気恥ずかしいけれど、どこかに残しておきたいのでここに。

⚫︎最初のコンセプトは《修道院(孤児院/療養所)で焼くバナナブレッド》。
慣習だと孤児院や療養院は修道院と併設されることが多く要はそういう世捨て(世捨てさせられ)の場なんだけども、今の私はむしろもうそういうところに引っ込みたい。そういうところに身を置いたならどういう生活を送るだろう、と時折想像をしながら日々の義務をほぼ惰性でこなしつつ構想を練った。今回も素晴らしく仕上げていただいて嬉しいな。

その一角は全てひとつの邸が占めている。高い塀で囲まれて中の様子を見ることはできない。そこからは毎日、幸せそのものみたいなバナナブレッドの香りが礼拝の香煙と共に漂ってくる。私は毎日邸の横の道を通りながら、この向こう側に行ってみたいと思う。

ある日正門の脇の小さな扉が開くのが見える。中から大きな籠を提げた女性が2人3人と伏目がちに出て来て、まだ人がいるのか扉が開いたままになっている。私は通りすがりにその中を素早く見遣る。青々とした芝、その奥の回廊、古い糸車を回す人、そして一瞬キラッと光った何か。

私の視線に気付いた人がそっと扉の前に立って不躾な好奇心を遮った。
一瞬光ったあれは何だろう。窓に見えたけれど、それにしては大きかったような。あの女性たちはこれからどこかへ行く、或いはどこかへ帰るのだろうか。
私はただ目の前のあまりにも見慣れた道を生活のためだけに進んでいる。

谷底の四つ角、入り口の手前から行列になっている地下鉄の駅。ドブに吸い込まれるゴミの気分だ。
一台の馬車が私を追い越して行き、不意にあの幸せな香りが私を包んだ。ああ、あの女性たちが乗っているのだ、間違いなく。彼女たちはどこから来て、どこへ行くのか。幸せの香りを受け取るのは誰なのか。


追記
6月になってこのメモを読み返している。
最初の感想って結構貴重で、外向けの言葉じゃないし自分に向けての本当のところがよく掬い取られていると思う。ゴーギャン苦手なのにゴーギャン借用されててなんだか興味深い。

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