人生の岐路に立った映画
中学生の頃の私は 早く自立して家を出たかった。
東京で就職したい。その思いで、高校は商業高校を選んだのです。
昔ですから、高校に来る求人は めちゃくちゃ多く 1学年250人はいたけど
全員が、希望するなら どこかしらの企業に入れるくらい。
しかも 成績順に企業を選べたのです。
私の希望は なぜか日本銀行。なんの情報もありません。ただ漠然と東京に行ける!という理由でしょう。
その希望を叶えるためには、上位の成績をとって 「先に選べる特権」を手に入れるんだ、と
強い決意を持っていた私。
無事 志望校に合格し、入学式を前に
幼なじみの親友と 映画館へ観に行った映画。
それが、ブルース٠リーの『死亡遊戯』
でした。
当時 ブルース٠リーといえば
ホントに多くの人の憧れで、
子どもたちは ゴムヌンチャク?を
振り回し アチョーッと真似をしたものです。
私も 大好きでした。彗星のように現れて 撮影中に突然 謎の死を遂げ消えてしまった リー。彼の実際のお葬式の様子が 1シーンに使われた「死亡遊戯」は たいへんな話題作でした。
さて、高校生活が始まり 毎日そろばんの練習や簿記の予習など 最初が肝心とばかり意気込んでいた私。
数日後、新入生が体育館に集められ
部活の紹介がありました。それぞれの 入部の勧誘のためのアピール。
当然、私は 就職に有利な技能をつけられる部活として 和文タイプ部か カナタイプ部、英文タイプ部のいずれかに入部を決めてました。
すごいでしょ? 今の時代では考えられませんが、
あの頃は 「キーパンチャー」という職業もあったのですよ。
当然 運動部の紹介もありました。
でも 私は運動音痴。
球技も 走るのも苦手でしたから
はなっから興味はなし。
ただ、この学校には
空手部があり ステージの上では
男子生徒がふたり 組手や型を
披露していました。
へぇ、めずらしいな 空手部?
しかも男子٠٠٠。
うちの学校は ほとんどが女子。
6クラス中、男子は どの学年も
A組に十数人いるだけでした。
さて、放課後 入部届けの前に お目当ての部をいっせいに見学。
ところが 散り散りに出掛けたクラスメイトが、すぐに戻ってきて「ちょっと!和文タイプ、 人でいっぱい!中に入れないよぉ!」どうやら 人気が高く 和文٠英文٠カナタイプ部、いずれも ひとが殺到して中を覗くことも出来ない状態だったのです。
それを聞いた私は あれほど将来のために入ると決意していたはずなのに、
クラスメイトの声に すっかり怖じけづき
その場から立ち上がる気にもなりませんでした。
結局 ひるんで挑むこともせず 諦めてしまった私。
情けない!
この根性なしが!
自分の臆病さに つくづく
嫌気がさしました。
なんて弱いんだろう、自分は٠٠٠。
ダメな私、誰か 鍛え直してよ!
強くなりたい!!
その時 私の脳裏に浮かんだのは
あの「死亡遊戯」のブルース٠リー
の姿。たったひとりで敵陣に乗り込み バッタバタと倒していく。
華麗な身のこなしで、軽やかに。
どんな大柄で屈強な男にも
果敢に闘いを挑む。
私に足りないのは 彼のような勇気と
強さだ。
そうだ、空手部に入ろう。
なぜか 唐突に そんな思いが
込み上げてきたのです。
でも、私は 運動音痴!
運動部なんて入ってやっていけるのか?
すぐに決断は出来ませんでした。
こんな私が 空手なんて
耐えられるのか?
どうしよう?悩みました。
真剣に深く深く考えて、
考えて考えて このままでいいの?
いま決断しなければ、ずっとこのままだよ?
よし!決めた。
もう逃げない!めちゃくちゃ勇気を
ふりしぼって いざ、道場へ。
拍子抜けなことに、空手部の先輩たちは
みんなやさしく とても私を 大事にしてくれました。
最初、部活では校舎の周りを
3周ランニングするのですが
案の定 私は すごく足が遅く٠٠٠でも、
先輩のひとりが ずっと私の後ろから
付いてきてくれたり。
しかも、空手は 基本と型の反復練習。
それほど 運動能力は 必要なかったんです。すっかり空手の魅力に
取りつかれた私は 毎日 授業の間の休み時間にも、
教室の後ろで 練習を繰り返し
次第に学校生活が部活中心に
なっていきました。いつしか
かばんの中は 道着と帯と弁当のみ。
お弁当は 二時限目の終わりに、
なんなら 駅から乗る 朝のスクールバスの中で食べてしまいました。
かくして私の 東京の日本銀行に
就職する目標は どこへやら。
完全に塗り替えられ。
まぁ、はなっから無理な話でしたが。
代わりに 「ブルース٠リーに憧れて
空手を始めて 5年後に日本一になった」経歴
の持ち主になったのです。
人生 どこでつまづき、転ぶか
わかりません。でも
転んでも ただじゃあ 起きない!
因みに 就職先は 先生に勧められて受けたけど、何をするところか
わかってなかった
総合証券会社でした。
これが、わたしの映画にまつわる
古い古い思い出です。