日本の若者が生き辛い理由
長い文章だが、要約するとこの通りである。
「私は韓国に行き、そこから日本の現実を知ることで、日本の若者が今後どう生きていくのか反省させられた。」
先に述べておくと、筆者は特別、日韓の関係にかんして特定の主義主張を持たないし、この記事でそういう議論をするつもりはない。通常、国の住心地というのは善し悪しであり、一概にどちらが優れていると断言できないものだ。日本であれ韓国であれ、これは同様である。
しかし、少なくとも特定の世代の視点に立脚すると、私は韓国という社会において、羨望の眼差しを抱かずにいられなかったことを認めなければいけない。それはある種、希望であり、また絶望である。少なからず、私個人のアイデンティティに根ざした問題なので、本稿はメセナプラン限定の公開となる。
直接的にゲーム業界について論ずるものではないが、少なくとも、「ゲーム業界の関係者」「10〜20代の若い世代」にとって、本稿は「日本で生きていくこと」について重大な問いを投げているので、よければ最後まで読んでいただけると幸いである。
韓国のカフェ文化を目の当たりにし、絶望した
筆者が韓国へと向かうのは2度目であった。
1度目は学生の時分、学友どもと安旅行で行った程度である。気楽な旅行だったので、正直「韓国」という国家や社会にかんして、特別何らかの感情は抱かなかった。
2度目、ちょうど今月の頭から1週間ほど、韓国ゲーム業界の取材のために飛んだ。その時、実際に現地の韓国人と触れ合ったり、長期滞在の間にソウルやスウォンを歩き回ったことで、まるきり「韓国」に対する認識が一変したのだ。
では、韓国の何にそこまで驚いたのか。
それはカフェが圧倒的に多いことだった。
特にソウル市内は、日本と比べると、信じられないほどカフェが多い。3つビルがあれば1つにカフェがある、なんなら同じビルに2つ以上カフェがある。スターバックスの裏に地元のカフェがあるのには驚いた。あとで調べてみたら、日本のカフェは全国に約6万件あるのに対して、人口がその半分未満の韓国には、約10万件のカフェがあるという。道理で多いはずである。
私はこのカフェ文化を目にして「韓国人は大変なコーヒー好きの民族なのだな」と勝手に納得していた。しかし、やがてその背後にある事実に気づくと、私は韓国があまりにも羨ましく、そして絶望を覚えたのだった。いや、それは別に私が無類のコーヒー好きだから、ではない。この圧倒的な数のカフェの背後にある「事実」に、真に羨望と絶望を覚えたのである。
その「事実」とはなにか。
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