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「ゲハ」批判 2020年代のゲームビジネスを正面から考える

注意:本稿は公開が遅れたことを鑑み、9月下旬まで「定期購読」の中でお読みいただけるようになっています。

ビデオゲーム、特に家庭用コンソールゲームのビジネスについて正面から論理的に語ることが、いよいよ難しくなっている。

とりわけ日本国内ではゲームハードやハードメーカーに対する意見が、「ゲハ」と呼ばれるような、特定ゲームハード(ゲハ)に熱烈な情熱を抱くファンボーイ・アンチたちの抽象的・感情的な主張が、匿名掲示板からSNS、極めつけにまとめサイト(ゲハブログ)に扇動される形で拡散され、明らかな誤解や偏見に晒されている。

筆者は自身のブログを運営し、さらに4Gamer.net、電ファミニコゲーマー、AUTOMATON等のメディア、ファミ通ゲーム白書等の業界紙に寄稿した経験があるが、当然ながらこの「ゲハ」的な目線を考慮しなかったわけもなく、実際に支離滅裂な批判に晒されたことも一度や二度ではない。

具体的にはとあるゲーム作品の一部分を評価したことで、作品が発売される「ハード」への忖度であると曲解して批判されたことがある。また任天堂、SIE、MSらの「ファン」を自称するゲハブログの他、オレ的ゲーム速報@刃やはちま起稿などにも筆者の記事や主張が取り上げられた経験があり、早い話、我々メディアの人間が特定ハードの話題に触れただけで即座に「ゲハ」流に炎上させられる可能性がある、というわけだ。これは何も筆者個人の被害だけでなく、古くは2011年に平林久和氏が同様の指摘を「ゲハブログがゲームの言論の自由を脅かす」とまで訴えたこともあり、かれこれ10年以上この「呪い」は解けないまま残っている。

とはいえ、いかにゲハブログなどの話題が支離滅裂なものであっても、これを一つ一つ解説するのは陰謀論やカルトを説き伏せるほど不毛で、筆者としても腰が重い。むしろ筆者としては、そもそもゲハ、ゲームハードに対して強く執着することが、少なくとも2020年代のゲーム業界においては無意味であるし、そうした前提で語られるゲームビジネス観自体もあまりに現状から乖離している実情を……つまり、いっそ2020年代のゲームビジネスそのものをザクッと解説する方が、ゲハ観も否定しつつゲームビジネスを考える材料も提示できるのではないか、と考えた。

つまり、今でも「特定のハードに特定のゲームが独占された」とか「特定のハードはこんなラインナップがある/ない」とか「特定のハードはこんなに性能が高い/低い」とか「特定のハード(及びその限定のゲーム)はこんなに売上が好調/低迷」とか、「特定のハード」中心でゲームについて非常に感情的になる言論が溢れること自体、国内コンソールゲーム市場が盛況を迎えた2000年代からモバイルゲーム市場へ移行する2010年代で停滞しており、2020年代の実態を全くつかめていないのだ。

そこで今回、長年「ゲハ」的な言論に呪われてきたゲームコミュニティの中で、「今のゲームビジネスで何が起きているのか」ということを正面から論じ、従来のゲームビジネス論を覆すことを試みたい。


従来の「ゲハ論」の焦点

最初に、ゲームビジネスに詳しくない方やゲーマーでない方に向けて、そもそも「ゲハ」的な議論はどこから始まったのか、また議論の焦点は何だったのかという話を、1980年代から2000年代にかけての大雑把な「定説」に基づいて解説したい。

ゲームビジネスはこの20年間で大きな変化があったものの、大筋としては「ゲーム機戦争(Console War)」と呼ばれるような、コンソールゲーム機のメーカー同士による競争が中心にあったと言えるだろう。この「ゲーム機戦争」におけるゲーム企業には、大雑把に分類すると「ハードメーカー」「パブリッシャー」「ディベロッパー」が存在していた。

「ハードメーカー」は、ゲームをプレイするためのゲームハードを販売する企業だ。コンソールゲームにおいてはNintendo Switchを有する任天堂、PlayStation 5を有するソニー・インタラクティブエンタテインメント(ソニー、SIE)、Xbox Series S/Xを有するマイクロソフト(MS)が有名だろう。また言わずもがな、過去にはセガやNECのようなメーカーもハードメーカーとして参入していた。

一方、「ディベロッパー」開発企業は名前の通りビデオゲームを開発する企業であり、「パブリッシャー」は出版企業という名前にある通り、ビデオゲームを販売する企業だ。特に欧米におけるゲーム製作には両者による分業が基本となっており、Electronic ArtsのようなパブリッシャーがRespawn Entertainmentやディベロッパーに資金力とネットワークを提供し、『Apex Legends』のようなビッグタイトルを完成させるといった事例が見られる。(※①)

簡単な一例。ただし近年では一社で両立する例が多い(※①)


さて、この三者の中で、最も力を持っていたのが「ハードメーカー」だ。

彼らは特定のゲームハードを製造・販売する能力を持ち、しばしば自分たちで開発チームを組織し、スタジオを買収するなどして、歴史に残るようなすばらしいゲームタイトルを開発してきた。中でも任天堂は最も歴史が長く、ファミコン、ゲームボーイなどハードを作っては、都度マリオ、ゼルダなどのタイトルを開発し、国内外問わず大きな影響力を持っていた。従ってカプコン、スクウェア、エニックスといった「パブリッシャー」「ディベロッパー」たちも「ハードメーカー」のハードに応じてゲームを開発し、しばしば有名なゲームタイトルはハード間で奪い合いにもなった。

よって必然的に、ゲームビジネスはゲームハードを中心に語ることが一般的に理に適うものと考えられた。実際、「ファミ通」のようなゲーム雑誌でもゲームハードの発売は大々的にスクープし、「電撃PlayStation」「ニンテンドードリーム」など特定のゲームハード専門の雑誌も立ち上がった。当時ビデオゲームを楽しむというのは、日進月歩で進化する技術を追う喜びがあり、最先端の産業的な娯楽という側面もあったからだ。

さらに2000年代後半、コンソールゲーム市場が世界的に成長し、Wii、PS3、Xbox 360が出そろった時代、匿名掲示板のゲームハード板を中心に議論がヒートアップしていった。また、この「ゲハ」の議論をまとめるオレ的ゲーム速報@刃、はちま起稿といった「ゲハブログ」が台頭し、ニコニコ動画でゲーム実況動画も増えるなどインターネットの大衆化も相まって、特定のハードメーカーに依拠して激しく賞賛や批判を行う言論、すなわち「ゲハ」的な言論が根付いていった。

ところが、実はこの頃には既にゲームビジネスは変化を余儀なくされていた。すなわちゲームハードを中心にゲームビジネスを語らうことや、まして何もかもハードメーカーに結び付けて絶賛や批判をすること自体、根本的にその「変化」を見失ってしまうことになっていた。にも関わらず、実際にはゲハブログによるイエロージャーナリズムが増え始め、メディアや書籍でゲームビジネスが語られる機会も減っていく中で、「変化」はおろかゲームビジネスそのものを正面から論理的に論ずることが、ひどく難しくなったのだった。

では具体的に、「2020年代におけるゲームビジネス」はこの「定説」からどのように変化しているのか。ここで考えるべきは2000年代後半にかけてハードメーカーが持っているハードというアドバンテージが喪失したことと、その上で、ハードメーカーが獲得した新たな武器がポイントになってくる。

(※①)一点注意したい点が、ハードメーカー、ディベロッパー、パブリッシャーの三者は必ずしも独立したものではないこと。日本の大企業においては、カプコンやスクウェア・エニックスのようにそもそもディベロッパーとパブリッシャーを兼ねることが多い。


2020年代のゲーム産業を理解するための1つの鍵と3つの変化

1980年代から2000年代まで一貫してゲーム産業の中心に存在していたハードメーカーの存在感により、雑誌やネットではハードの優劣やハードメーカーへの感情によって議論する「ゲハ」的な言論が一般化していった。しかし、実はこの時にはハードやハードメーカーを中心に議論することが時代遅れとなっていた。それは何故か。

それは、ハードメーカーがプラットフォーマーとなったからである。

先ほどの章で、筆者は任天堂やソニーを「ハードメーカー」と呼称した。実際に彼らは独自のゲームハードを用い、ハードを中心としてビジネスを展開していったことからハードメーカーと呼ぶことは間違っていないだろう。「ゲハ」も「ゲームハード板」に固有しており、一般的にゲームハードの売上や性能でメーカーの優劣を語ることからも、世間的にも彼らはハードメーカーなのだ。

しかし、実際には今彼らをハードメーカーと呼ぶのは適切ではない。デジタル化が進んだ2020年代において、ハードメーカーだった彼らは現在「プラットフォーマー」であり、ゲームビジネスも「プラットフォーム」を中心として展開されている、という点をまず最初に踏まえるべきなのだ。

言わずもがな、読者諸賢がゲーム産業におけるプラットフォームビジネスの影響を、非常に強く受けていることは実体験としてあるだろう(また、「プラットフォーマー」と名称だけなら認識しているという方もいるだろう)。しかし、具体的にどのようにこの変化が起きたのか、この変化を介して現代のゲームビジネスがどう確立されたのかということは、あまり論じられていない。そこで、まず2000年代に進んだデジタル化にコンソールゲームのハードメーカーがどう対応したかを論じたい。


①コンソールゲームの技術的優位の喪失

そもそも「ハードメーカー」と「プラットフォーマー」はどう違うのか、という点を疑問に思われたかもしれない。現在でも任天堂やソニーは独自のゲームハードを販売しているし、逆に過去にもハードメーカーはサードパーティを囲い込んだり、自分のハードで売る際にロイヤリティを徴収するという点では、既にプラットフォーマーと言えた。ハードメーカーとプラットフォーマーは過去から現在まで両立している。

それでもあえて「ハードメーカーのプラットフォーマー化」と主張したいのは、1980年代から2000年代前半までコンソールゲームは大きな技術的優位によってゲーム市場で圧倒的な地位を築いていた背景にある。

前段で述べたように、ゲームハードはハードメーカーがそれぞれ独自の技術と素材をフル活用し、それぞれ固有のハードウェアとしていた。例えば、任天堂ファミリーコンピュータは上村雅之「ファミコンとその時代」にもあるようにリコー製の2A03とRP2C02を活用し、当時としては画期的と言えるコストパフォーマンスを実現したハードウェアだった。一方でソニーは赤川良二「証言。『革命』はこうして始まった」で語られるように、CPUにはMIPSのR3000をソニー独自にカスタムしたものを採用し、続くPS2、PS3でも東芝と共同開発したCPUを採用することで、家庭用ゲーム機として未曾有の性能を発揮した。

1984年「ファミリーベーシック」と併せ、ファミコンは「家庭で子供でも使えるPC」をどの企業より先んじて実現した、極めて「高性能」なハードウェアだった


このようにコンソールゲームは任天堂、ソニー、あるいはセガやNECのような「技術立国ニッポン」を象徴するような企業が中心となって製造したゲームハードの技術的優位によって、ゲームビジネスを牽引してきた。メーカーたちは自社のハードウェアが16bitだ3Dだと積極的に性能を喧伝し、カセットかCD-ROMかとソフトの媒体まで競い合った。第三のディベロッパーも、ハードの性能や媒体の違いを根拠に開発を進めた。無論、当時からゲームソフトの面白さも重要だったものの、その「ソフト」が作れるかどうかはハードにかかっていた点で、ハードはソフトと同等かそれ以上に「ゲーム機戦争」で重要だったのだ。

これを裏返すように、1980年代から2010年前後までのゲーム市場はコンソールゲーム一強だった。携帯電話(スマートフォン)は無論のことPCさえコンソールゲームの技術を同価格で再現することは難しく、その証拠に、市場規模も2009年時点ではコンソールゲームが日欧米で約2兆2000億円なのに対し、PCゲームは約4500億円、モバイルゲーム(携帯ゲーム)は約2500億円と、コンソールゲームがトリプルスコア以上をつける大差を築いていた(※②)。つまり、1980年代から2000年代後半までは日本企業の技術力に支えられたゲームハードに牽引されたコンソールゲームが、世界のゲーム市場を支配してきたのである。

出典:「ファミ通ゲーム白書 2010」をもとに筆者が作成(単位:億円)

しかし、2000年代後半から、ハードメーカーの技術的優位が揺らぐことになる。世界的なデジタル化が進み、世界の半導体需要は2倍以上に拡大。世界的半導体メーカーが小さく、安価に、高性能なプロセッサを簡単に量産できる体制が出来ており、スマートフォン、タブレット、ゲーミングPCのような汎用性も技術も高いハードウェアが、市場に一気に溢れることになった。事実、スマホの概念を確立したAppleのiPhoneにはサムスン製ARMプロセッサが搭載されており、「スマホ」の誕生にはスティーブジョブズの才能のみならず、サムスンのような東アジアの半導体メーカーの成長が大いに影響していた(※③)。

一方、1980年代~1990年代では世界をリードしていたNEC、東芝、日立といった日本の半導体メーカーは、湯之上隆「日本「半導体」敗戦」で指摘されるように大きく敗退した。これを象徴するのがソニーのPS3に搭載されていたチップ「CELL」で、IBM、東芝らと共同開発した肝入りのプロセッサで、ゆくゆくは自社のゲーム機のみならず世界的半導体のスタンダードになる想定だった。ところが、「CELL」は普及することなく、PS4からは他社であるAMDのAPUを使うことになっていく。

この背景にあるのが、半導体を取り巻く業界の構造変化だ。PS3からPS4に以降する2000年代後半から2010年代前半は、半導体がファウンドリモデルに移行した。ファウンドリとはTSMCやサムスンなど半導体の製造に特化した企業のことで、AMDやIntelなど半導体の設計に特化したファブレス企業と連動で、企画と製造をそれぞれ分業で行う体制をファウンドリモデルという。一方、ソニーら日本企業は企画も製造もおこなうIDMがメインだが、半導体の小型化・高性能化・低価格化の流れでは、規模の経済で抜きんでたファウンドリが圧倒的に優位になっていった。

プロセスノードの微細化の歴史。画像はEDNより

このように半導体の構造変化に伴い、リコー、NEC、東芝ら日本の半導体メーカーのアドバンテージは失われ、彼らと共同で独自のゲームハードを作り、ハードの性能や能力で勝負するハードメーカーたちの技術的優位が失われていったのである。

その結果、2020年代においてもはやゲームハードは日本ハードメーカーの独占的技術ではなく、国際ファウンドリモデルの汎用チップを流用して作られている。任天堂のNintendo SwitchはNVIDIA「Tegra X1」、ソニーのPS5とMSのXbox Series S/XはAMD「ZEN2」と、それぞれタブレット、PC等の使用実績のある汎用性の高いチップを内蔵している。つまり、現代におけるゲームハードは、コントローラーや外装による多少の差別化はあれど、タブレットやPCとほぼ変わらなくなっている。

実はSwitchと同じSoCを使ったPixel C。Nintendo Switchそのものの批評はいずれ公開予定。


この点を鑑みれば、現代で「ゲームハード」に注目することがいかにナンセンスか、おわかりかと思う。既にゲームハードの差異や性質はビジネスの本質でも何でもなく、ハードメーカーが各々のハードに哲学を反映することもない。PS5とXSXに至ってはほぼ同じチップを用いており、Switchも比較する対象はゲームハードというよりタブレットか自動車だ。そもそもゲームハードに限らず、スマホを含めたIT業界全体でコモディティ化する半導体製品を用いた差別化が難しくなっている、というのが現状なのである。

(※①:なおファミコン時代の6502も元をたどれば米国のMOS 6502だったり、かつてのゲームハードが純100%の国産ハードだったわけではない。またゲームキューブにはATI(現AMD)のFlipperがNEC製造で使われるなど、徐々に半導体を汎用化していく試みはしていた。言い換えれば、任天堂は一般に想像されるほど技術的な「独創」を試みてるわけでなく、模倣や効率化すべきことはちゃんとやっている)
(※②:「ファミ通ゲーム白書2010」より)
(※③:同じような発想によってゲームコンソールに殴り込んだのがマイクロソフトのXboxだ。インテル製CPUとNVIDA製GPUを用い、「中身はパソコンそのものな構成」(吉川明日論談)によって、ハード設計のノウハウがないながら任天堂、ソニーを押しのけて業界に参入した。)


②ハードメーカーからプラットフォーマーへ

デジタル化に伴う半導体のファウンドリモデルの移行、その結果として技術的優位を失ったがために、コンソールゲーム、特に日本のハードメーカーたちは明確な危機に瀕していた。実際、WiiU時代(2012~2017年)の記録的失敗を経験した任天堂を見るに、将来は非常に暗いように思われた。

ところが実際には、むしろコンソールゲーム、特にハードメーカーに関しては、失墜どころか全体的には堅調な成長・維持を見せている。新規参入のMSはXbox 360の成功を機に定着し、SIEのPlayStationは世界全体ではPS3、PS4と平均して約1億台を販売。任天堂のNintendo Switchは現状最も成功したコンソールハードで、ソフトともども記録を塗り替え続けた。

確かにハードメーカーはゲームハードによる差別化という武器を半ば失った。だが一方で、「怪我の功名」とでもいうべきか、「差別化しなくなったからこそ」得たものも多かったのである。

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