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「高齢者は社会の負担なのか?」 ──ゲームゼミ月報(2023年4月)

「高齢者」は果たして日本社会の負担になっているのか?

辛うじてZ世代と言えなくもない年齢の筆者だが、先日、仕事上での後輩と打ち合わせしたとき、大真面目に「老害の負担のせいで自分たちの世代がダメになる」と訴えるのを聞いて驚いた。要は、成田悠輔氏による「高齢者は集団自決すればいい」などネットの「老害論」を真に受けたらしい。

今でこそ成田氏の主張は批判されているが、実のところ成田氏は2019年から繰り返し主張しており、むしろ彼は「老害論」とでもいうべきラディカルな思想によって現在の人気を得ていた。それがニューヨーク・タイムズが批判したとたん、出羽守的に手のひらを返して批判されたまでであり、「老害は死ぬべきだ」という極論はネットでの「本音」として半ば公然と共有され、それは今も続いている。

まず現在における老害論は大きく分けて「権力を握った一部の高齢者が引退すべきか否か」という点と、「一般的な高齢者が社会のお荷物になっていないか」という点の2つある。前者はさておくとして、後者はその前提から正しいと言えるのだろうか?成田氏を批判する多くの人でさえ、「誰もがいずれ高齢者になるのだから」といった、福祉前提でのリベラル的楽観主義のようなものが多く、暗に「負担をかけている」前提は否定していない。

ここで本当に高齢者が社会の負担になっているのか、「主観」ではなくちゃんとしたエビデンスに基づいて調べてみると、実に興味深い事実が明らかになった。

総務省によれば、そもそも2020年において高齢者の就業率は25.1%もあり、そのうえ60代に限れば50%を超えており、さらに男性の高齢者に限れば一般的に定年退職しているはずの65~69歳でさえ60%も就業していることがわかる。なお、15~64歳に限定しても男性は83.9%、女性は71.3%なので、少なくとも1950年代以降の戦後に生まれた団塊世代のうち、定年退職して福祉にのみ頼って生活できている人のほうが少ないと言える。

総務省より

こういう話をすると、一部で「しかし高齢者は高給取りで、楽して稼いでいるんじゃないか」と批判されるかもしれない。実際「老害論」の中には彼らの一部は権力の座に残り続け、若者を搾取しているといった揶揄がされる。

ところがこれも、実際にデータを見ると真逆の結果が浮かび上がる。確かに、高齢就業者のうち12.3%が高給の役員であるのも事実だ。だが一方で、役員をのぞく雇用者うち、75%以上が非正規雇用であり、そのうち52.5%がパート・アルバイトに従事しているのだ。対して若年層(15~34歳)でパート・アルバイトに従事する割合は20%に留まる。

総務省より
総務省より

また言わずもがな、日本は少子高齢化に伴い、特に給与の低いサービス業において人手不足が慢性化している。具体的には、われわれが普段利用するファストフード店もコンビニも、パートやアルバイトのような非正規労働者によって賄われており、そしてその仕事における高齢労働者の貢献は、少なくとも若者の3倍以上も大きい。

つまり、高齢者が惰眠をむさぼり、権力に胡坐をかいているとする「老害論」とは真逆に、多くの高齢者はむしろ若者以上にパート・アルバイトなど生活インフラに直結する仕事で日本社会を支えており、成田氏が主張するように「高齢者が集団自決」されて困るのは若者の側なのである。

付け加えると、実のところ高齢労働者はここ10年で一気に割合を増やしている。総務省によると、2012年までほぼ横這いだった就業率は2013年から約1.5%ずつ増えており、10年で約14%も増えている。彼らは1952年から1962年に生まれた団塊世代であり、今後も団塊世代から団塊ジュニア世代にかけて定年後の就業率は50%から80%近くまで増えることが予想され、今後は一部の富裕層を除くほとんどの高齢者が「生涯労働者」となる計算となる。

逆に、「老害論」で挙げられるような、福祉に依存して働かない高齢者は、もはや1920~40年代の「戦前・戦時中生まれ」の限られ、それよりも年下の団塊世代以降は定年退職後、パート・アルバイトなど不安定な非正規雇用に甘んじなければいけない現実がある。ネットではしばし「今の若者・中年の老後はどうなるのか」といった言説も少なくないが、実のところ、すでに団塊世代の時点で「老後」は到底明るいものではなくなっている。

昨今、日本社会で分断や格差が広がっていることが指摘され、その結果が「老害論」なのだろうが、実際のところ年代ごとの格差はそう大きなものではない。むしろ高齢者の間でも、引退できる少数派と引退できない多数派に分断している。フランスの世界不平等研究所によれば、日本は上位10%の資産が日本全体の57.8%、そのうちさらに1%が24.5%を独占する形となっており、むしろ財産の格差はより深刻なものとなっているのだ。

繰り返すように、成田氏の「老害論」は極論のようで、実のところネットで広く当たり前に信じられている偏見を、(ひろゆきのように)うまく代弁してポジションを獲得したに過ぎない。よって、成田氏が批判された現在も「老害論」は根強く信じられており、そうした人が本稿を読んだのであれば、少しでも冷静に、客観的に考え直すことを祈るばかりである。


映画『イニシェリン島の精霊』がとにかく恐ろしかったという話

恐ろしい映画だった。タイトルのイニシェリン島というのはアイルランドにある、牧畜と漁業ぐらいしか産業のないクソ田舎であり、そこに住む2人の男が……日々パブで飲み交わす「親友」であるはずの2人の男が「絶交」するところから物語が始まる。2人のうち1人はブサイクだが、音楽を愛し、知的教養のある男だ。もう1人は普通の外見だが、「ロバのクソの話を2時間もできる」小学生男児並の知性しか持たない男である。

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