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【感想】君たちはどう生きるか この作品を批評できない理由

※言わずもがな、ネタバレだらけです

※批評ではなく雑感です 理由は以下の通り


批評的アニメというより、批評アニメ

『君たちはどう生きるか』を見た。純粋にアニメーションとしては間違いなく邦画の粋であり、単にそれらを見ているだけで十分に満足できる作品だったのは間違いない。しかし、いざ観終わって批評を書きたいか、いや作品について考えたいかと言われると、まったくそうはならなかった。

何故か。『君たちはどう生きるか』は端から批評させることを目的とした作品なのである。

いうに及ばず、本作は実に様々なレイヤーでの批評的視点が内在している。戦災から始まり、主人公の内面を具現化していくという点では吉本隆明を交えた戦後日本思想的な批評も可能であろう。あるいは軍用機を疎開先で並べる展開からは宮崎駿の生家が宮崎航空機製作所であったこと、そして宮崎過去作品の無数のオマージュからは宮崎個人のアイデンティティを作家性へ還元する批評も可能であろう。大叔父が提示する世界の運営からの逃避という点やアニメーションのコラージュ的な描写からは、亡くなった高畑勲や弟子筋である庵野秀明や細田守ら日本アニメーション、あるいはゼロ年代的なメタフィクション批評も可能だろう。

要するに、本作は批評そのものなのだ。無論、どんな作品にも作家の批評性というものは推測可能であるが、本作は「批評的」という域を超えて、シンプルに「ジブリとは、宮崎駿とは、戦後日本とは、日本アニメーションとは……」と宮崎駿自ら語る「批評」なのである。特にエンディングで「わたしが今まで宮崎さんから受けとったものをお返しする為の曲」として作曲したと語った米津玄師の「地球儀」が流れた時、この考えは確信に至った。

文章かアニメーションか、アニメーションの中でも本田雄ら一流アニメーターを動員するか、fusetterでコソコソと感想を書くかという軸はあれど、やはり批評は批評である。本作を正面きって批評することは、批評を批評する堂々巡りになってしまう(この文章も一部だが!)。

繰り返すように、作品自体は面白い。非常に完成度の高い作品であることは間違いない。それは確かに批評でしかないのだが、「宮崎駿による日本アニメ・ジブリ批評 フロムアニメイシヨン」なんて当然、値千金である

ただ、それについて語ること、盛り上がることに、正直あまり意味を見出せない。先ほど乱雑に語ったように、「ペリカンは現実の時間を奪うフィクションのメタファーで……インコは戦後日本の虚構の時代のメタファーで……」と批評したくなったのだが、最初から「そういうメタファーです」と宮崎駿の中で結論づいてるものを語っても、彼とパズルゲーム、あるいはARGとかPBMをしているだけになってしまう。


自己言及に収斂しつつある巨匠と地平を拓く新たな才能

正直、『君生き』の話をするだけならわざわざ記事を書くまでもなかったのだが、それにしても、近年の日本アニメーションは批評的というよりただの批評みたいな作品が増えたような気がする。

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