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本当の「ゲームの歴史」を学ぶために、まず読んでほしい5冊の必読書

昨年、岩崎夏海氏と稲田豊史氏の共著で出版された「ゲームの歴史」がひどく炎上しておよそ1か月。色々と加熱しすぎていたので触れないでおいたら、今度は「あの本に触れないのは何か理由があるんですか」と勘ぐられ、かといって触れると「炎上に加担するんですか」と怒られ、どうしろと……と言う他ない状態である。

あの本をどう評価するのか、既に連載する「ゲームゼミ月報」にて論じた通りなのだが、筆者がむしろ引っかかっているのは、この本の「炎上」を後々嬉々として報じるメディアほど「ゲームの歴史を語るのは難しい」だとか「不可能なプロジェクトだった」といって、まるで「ゲームの歴史」以前にはゲームの歴史について論じた書籍がなかったかのように報じている点である。

たとえばFLASHが取り上げた直近の記事であれば「すでにコンピューターゲームが誕生してから70年以上経ちました。逆に、本格的にゲームの歴史を網羅した本を作ろうとするなら、全3巻ではとても足りません」とコメンテーターの体を取った記者の主張が堂々と記載されている。

もちろんこれは誤りである。既にゲームの歴史についてマクロ・ミクロの両面から多角的に論ずる本は、多いとまで言わないが既に存在する。そうした功労者たちの先行研究を無視した上で、ただ特定の本を叩きたいだけのゴシップ記事やツイートには、自分たちも歴史を軽んじていることを自覚するべきだ。そもそも、本書の具体的な批判・修正を行う岩崎啓眞氏が指摘するように、本書の問題はこうした先行研究に触れず、独自の偏ったイデオロギーを「史観」と言い張ったことではないのか。

というわけで、今回は「歴史」に限らずビデオゲームの文化をより深く理解するための「必読書」とでも言うべきゲーム関連の本を、「なぜ、この本を読むべきなのか」という点を抑えつつ5冊紹介したい。

正直、自分にとって種本でもあるだけに共有するのは少し惜しい(参考文献として既に紹介した本もある)のだが、今回の「ゲームの歴史」騒動をただの炎上にしてしまわず、これを機にゲームの歴史や文化への理解を深めるきっかけにしていただけると幸いだ。特にゲーム業界で働くライターやクリエイターの人にとっては、明日すぐに使えるような知識も手に入るぞ。


1:『現代ゲーム全史 文明の遊戯史観から』中川大地

タイトルの通り、現代におけるビデオゲームの歴史を省みた本である。ここでいう「現代」とは具体的にビデオゲームが計算機技術の中で芽生えた1950年代から、スマートフォンとインターネットが世界を覆った2010年代を指しており、すなわちビデオゲームの歴史を一冊で網羅しきっている。っておーい、「本格的にゲームの歴史を網羅した本」あるやん……。

そのうえ本書は副題にも「遊戯史観」とあるように、ただ事実を羅列した歴史書ではなく、主に2つの枠組みを用いている。その1つがロジェ・カイヨワが提唱した遊びの古典的な分類体系、すなわち〈模擬〉〈運〉〈眩暈〉〈競争〉の4要素であり、現代的なビデオゲームを普遍的な「遊び」のルーツに接続し、これを用いてゲーム作品を歴史の中で位置づけている。その「史観」を縦軸に捉えるもう1つの枠組みが、見田宗介が提起した〈理想〉〈夢〉〈虚構〉といった戦後社会の変容に、宇野常寛が加えた〈仮想現実〉〈拡張現実〉の時代の区分である。これはむしろゲームそのものでなく、ゲームが生まれた背景の社会・時代を客観的に捉えなおすことで「史観」全体の強度をもたらしている。

(全ての「歴史」に関する著述がそうであるように)本書は必ずしも「客観的」であることに囚われず、現代における「遊び」と「時代」を中川大地独自の視点でまとめつつも、それ故に一つの遊戯史を形成し、ビデオゲームがどこからやってきて、どこへゆくのかを素人の立場でも考えさせてくれる。一方、言うまでもなく本書は膨大な資料と研究に基づいており、事実や見解として疑わしい点はほとんどない。その過程に費やした労力を鑑みるに恐ろしいほど、主張に対する裏付けが徹底されている。

また本書はテクノロジーの目線での分析が興味深い。著者の中川大地氏は理工学に精通しており、そうしたテクノロジーとその歴史の知識が反映された結果、ゲームの歴史はコンピューター(計算機)の歴史でもあると理解できるようなストーリーにもなっている。もちろん誰もがビデオゲームとテクノロジーが強く結びついていることは知っているだろうが、それでもこの深度で両輪を理解できる本はかなり貴重である。

本著は膨大な資料の中から「現代ゲーム」の全史を描き切るという困難を達成した上に、カイヨワの「遊びの分類」と見田・宇野の「時代の変容」を重ねることによって独自の「史観」を築き、そこに著者の得意分野でもあるテクノロジー史が重なることによって、ただアカデミックな目的のみならず、純粋な読み物としても非常に完成度の高い著作となっている。筆者も一人のゲーマーとして、この本から学ぶところはとても多く、むしろ今も執筆にあたって読み返すという、もはや教科書となっている。

(ところで、中川氏とは仕事でご一緒する事も多いので、この本を贔屓しているのではないかと万が一にも疑われかねないので答えておく。実は順序が逆である。というのも私が中川氏の『現代ゲーム全史』を読み、感銘を受けた私から中川氏とお話をする機会を頂き、一緒に番組に参加させていただくことになった。なので、そもそもこの本を読まなければ中川氏とは面識もなかったのである)


2:『ハーフリアル: 虚実のあいだのビデオゲーム』イェスパー・ユール

そもそも「ゲーム」って何だ?ビデオゲームとゲーム(遊び)は何が違うんだ?という疑問を抱いたことはないだろうか。このようなビデオゲームの、特に美学の理解において『ハーフリアル』は国際的に非常に有名で、原著が2005年でありながら今も読まれ続ける名著である。

結論から言うと、本書においてビデオゲームとは「ハーフリアル=半分現実で、半分虚構」であるとする。そしてこの結論に導く上で、まず「ゲームとは何か」という定義を、既存の定義論をまとめつつ独自に昇華して論ずる。さらにゲームにおけるルールと、そこから生ずる経験からより深くゲームデザインについて論ずる。最後に、ビデオゲームの進歩に伴ってあらわれたフィクションへの視座と、このフィクションとルールをいかに補いあうかという試みを、様々な事例と構造から論じていく。

繰り返すように、本書における最大の関心はビデオゲームとは何かという美学的な問いかけだ。なので、作品やメーカーについてはあくまでこの問いかけを補う上で引用するぐらいで、直接それらを論ずる本ではない(ただしユールはゲームレビューも
「注意を払うべき価値を持ったもの」と論じている)。しかし、だからこそただ作品を論ずるだけでは見えないマクロな視点や、そもそも触れる機会もないアカデミックな議論を知ることができる点で、本書は必読の一つと言っても良いだろう。

とりわけ、「ゲーム性」という言葉に代表されるような「ゲームの美」について論ずる上で、この美学に関する議論はマストであろう。ゲーマー全員がこれを読めばもう「今のゲームはゲーム性が低いからダメだ」なんてあやふやな議論は発生しないのに……と悔やまずにいられない。そうでなくとも、ビデオゲームのルールがどのような体験をもたらすかという議論は、ゲームクリエイターにとっても有益な知識となるはずだ。


3:『日本デジタルゲーム産業史: ファミコン以前からスマホゲームまで』小山友介

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