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ゲームを仕事にすることは幸せか?

「好きなことを仕事にすることは幸せか?」という、めちゃくちゃありふれた設問がある。

大体はこの後に「儲からないからやめろ」という経験論や、「好きなことを仕事にしたら嫌いになってしまう」という警鐘や(これはひろゆきが言ってたらしい)、「仕事をなめるんじゃない」という精神論に発展する。さて、こういう答えはどれも一定の理解はできるものの、筆者個人の考えとしてちょっと見方がズレてないかと思う。

結論から言うと、「幸せ」になるには「好きなこと」が何かによる、という話になる。これもありがちな答えなのだけど、意外と見落としている人が多い。

まず筆者の仕事は作家である。今のところはビデオゲームの批評をよく書いており、ゲームライターでもある。要するに、ひたすらゲームを遊んで、それについて書くのだ。恐らくゲームが好きな青年にとって、これほど羨ましい仕事もそうないだろう。なんせ平日の昼間からゲームを遊んでそれで飯が食えるのだ。そんな都合の良い職があるはずがない。

筆者もゲームが好きだった。幼少期からゲームを遊びすぎて親に注意されることはしょっちゅうあったし、なけなしの小遣いを握りしめてゲーム屋に通ったこともある。そのころの経験や情熱が高じて今こんな仕事ができているのは事実なので、自分の好きなゲームを仕事の一環にできて幸せだというのは、部分的には正しい。


仕事にできる「好きなこと」は限られる

しかし、実のところ筆者はゲームが好き、というだけで作家をしているわけでない。執筆、という営みも好きなのだ。なので厳密には、ゲームが好きで、かつ、執筆が好きなので、今こういう仕事をしているというのが正しい。元々筆者はブログを執筆しており、当時は映画についての記事を寄稿していた。しかし映画よりゲームについて真面目に語る人が少なかったので、同じぐらい熱量のあるゲームをテーマにブログを再設計したところ、そこそこ人に読まれるようになって現在に至る。

極論だが別にゲームとは無関係であっても、執筆することが仕事になるならそれなりに幸福なのだ。つまり映画や小説の批評を書いてもいいし(実際書いている)、批評でなくても小説(フィクション)や取材(インタビュー)でもいい。何ならプロモーションのお手伝いとしてSteamストアページに掲載する文章や、各メディアに配るプレスリリースを書くこともあるが、これもそこそこ楽しむことができる。

加えて言えば、どのような記事を今出すべきか企画することや、取材にあたって他人から話を聞くこと、ラジオに出演にして話をすることも、全部ひっくりめて何かを知る・学ぶことも、どれも好きな「動詞」だ。

なので筆者が「ゲームライター」でなく「作家」と名乗るのは、格好をつけているからではなく、割となんでも書くことが好きだという自認からである。逆にただのゲーム好きであれば、執筆に時間を費やすことに、どうしてもうんざりしていたと思う。そのため「ゲームライターになりたいんだけど……」みたいな相談を受ける場合は、その人が「ゲーム」以上に「執筆」が好きかどうかを確認し、そうでなければあまり勧めないという結論になることが多い。

「好きなことを仕事にするのは幸せか」という問いは、まさにここに落とし穴がある。つまり「好きなこと」ではなく「好きな作業」「好きな営み」「好きな行動」といった「好きな動詞」を「仕事」にするのは「幸せか」と問うべきなのである。扱う商材が「好きなこと」であったとしても、それに関する実作業が「好き」ではないと、一転して苦行になる可能性が高い。「好きなことを仕事にするな」という人は、実際にこういう経験を踏まえた人ではなかろうか。

実はこの話はゲームライターに限らず、プロゲーマーやゲーム実況者といった人々においても同じことが言える。

つまり、プロゲーマーとは「ゲームで”勝つ”こと」が仕事なのであって、「別に勝たなくても楽しければOK」という人は当然向いていない。ゲーム実況者も「ゲームの動画を”収録する”こと」が仕事だから、撮影や編集といった作業に関心が持てない人にはあまりおすすめできない。しかし表面的には皆「ゲーム好き」としか見えないので、「勝つ」「撮影する」という部分が見えてこない。

ゲームクリエイターはもっと複雑で、もちろん「ゲームを作る」ことが仕事なのだけど、一言にゲームを作るといっても、企画、ゲームデザイン、プログラム、アート、サウンド、シナリオ、UI、デバッグと実に多岐にわたる作業が存在するため、それぞれの作業に対する愛情や技量といったものが重要になる。そのため、ゲーム作品の全てを決定するのディレクション業は、基本的に上長の地位なのでそう簡単にできるものではない。なので人によっては独立して全部自分で作る=インディーゲームを作るという選択をとる。

実際、かの任天堂の社長だった岩田聡は、西武百貨店で展示されていたPCでコードを書き、それでゲームを作っていたという逸話があるし、現スパイク・チュンソフト会長の中村光一は高校時代からゲームのコードを書き、それを雑誌「I/O」に掲載してもらうことで200万円もの原稿料を稼いだなんて話もある。また『天穂のサクナヒメ』の開発者の一人、なるも学生時代からプログラムを書いていたというので、現代でも「プログラマー少年がゲームを作る」のは特に変わってないと思う。

また現実的には、仮に「書く」「勝つ」「撮る」といった「動詞」が好きでゲームを仕事にしたとしても、それとは別に、やれ書類の整理だの、人間関係の調整だのと、様々な面倒が舞い込んでくるので、100%「好き」だけで仕事ができるわけでない。とはいえ、社会人をやる以上必ず不本意な仕事をやる必要が生ずるのは変わらないし、それで「好き」を仕事にすることを否定する理由にはならない。


だったら、ただのゲーム好きはどうしたらいいんだよ?

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