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真のホラーゲームはルールで恐怖させる ゲーム史に残すべき傑作ホラーゲーム3選

『バイオハザード RE:4』が発売された。元々2005年に発売された『バイオハザード4』をリメイクした作品だが、バイオハザードの中でも最高傑作と名高いこの作品を、極めて丁寧かつ見事に蘇らせており、リメイクかくあるべしと言わんばかりのすばらしい作品となっている。

しかし「バイオハザード」を語る前に、そもそも「ホラーゲーム」とは何なのか。もっと言えば、ホラーゲームのように「存在しない何か」に恐怖を抱くのは何故なのか、というテーマはあまり語られてこなかったように思う。そこで前回の記事では、人間がどのように恐怖という情動に駆られ、そして存在しないフィクションに恐怖できるのは何故なのか、そうしたホラー文化の最先端としてホラーゲームをどう位置づけられるのかを語ってきた。

今回はここまでの前提となる議論を用いて、いよいよ本格的なホラーゲーム批評へ向かいたい。最初にホラーゲームの金字塔となった『バイオハザード』を皮切りに、古今東西のホラーゲームのマイルストーンとしてもう2本の作品を引用しつつ、優れたホラーゲームとは何か、ホラーゲームが抱える問題とは何か、それはどう克服されてきたのかを論ずる。

前編を合わせ、現存するホラーゲームに関するテキストとして、最も踏み込んだ内容になっていると自負しているので、ぜひ最後まで読んでいただければ幸いだ。


『バイオハザード』 ホラー風ゲームではない「ホラーゲーム」の確立

ホラーゲーム、と聞いて最初に想像するゲームといえば、やはりカプコンの『バイオハザード』(1996)という人は多いと思う。そもそも今回ホラーゲームを語ることとなったきっかけも『バイオハザードRE4』であり、25年に渡ってホラーゲームの代名詞として『バイオハザード』は存在してきた。

一方、しばしホラーゲームの起源として紹介されるのが『アローン・イン・ザ・ダーク』である。本作は1992年、フランスのInfogramesがPC向けに発売した作品で、屋敷を謎を解いていくという内容。当時として画期的な3Dポリゴンを活用しつつ、カメラを固定することで負荷を減らしながら恐怖を煽る一石二鳥のアイディアが評価されている。後にバイオハザードをディレクターとして開発した三上真司も『アローン』の影響を肯定しており、その筋から言っても本作がホラーゲームの起源であるとして有力のように思う。

しかし、筆者は『アローン・イン・ザ・ダーク』をホラーゲームとしては考えていない。むしろ『アローン』を踏襲したはずの『バイオハザード』こそ、あえて言えば「ホラーゲームの起源」と断じてよいと考えている。

先に断っておくと、筆者は『アローン・イン・ザ・ダーク』を駄作であると言いたいわけでない。言うまでもなく本作は1992年、それもPC作品として(当時は処理能力で大半のPCはコンソールに大いに劣っていた)、固定カメラを用いた3Dゲームとして画期的であり、その影響力は極めて大きい。ただそれは「3Dアドベンチャーゲーム」としてであり「ホラーゲーム」としての評価ではないのだ。

では『バイオ』がホラーゲームであり、『アローン』がホラーゲームではないと考える根拠はどこにあるのか。

『アローン』がホラーとして物足りないと感じる点の一つに、描写の違いが挙げられる。率直に言って『アローン』における描写があまりに平坦で、あまり「ホラー」とは感じにくい。繰り返すように、『アローン』発売当時のPCは一般的なコンソールよりも性能が低く、そのため3Dの描写も抽象的なレベルに留まっていた。例えば、触れれば即死するポルターガイストはブドウみたいだし、作中最大の敵として登場するCthonianはまん丸なデザインから恐怖よりむしろ愛らしさすら抱く。

Cthonian。一撃必殺の攻撃を有し、本体は実質無敵と作中最強だが、正直今見るとかなりかわいいデザイン。

ホラーにおいて恐怖を煽る描写は必要不可欠だ。前回の記事で引用したノエル『ホラーの哲学』においても、「アートホラー」の真骨頂は「不浄であり不潔」であることが挙げられている。

単に危険を及ぼす存在、例えば銃で武装した人間は、ナチュラルホラーになってもアートホラーにはならない。具体的には、ノエルはアートホラーの一例として、H・R・ギーガーが『エイリアン』で登場させた異星人や、H・P・ラヴクラフトが「クトゥルフ神話」の中で「異臭を放ち」「緑色の皮膚をした」と説明した神々のように、その不浄さや不潔さから「嫌悪」を抱かせてこそ「アートホラー」たりうる、としている。

一方、『バイオハザード』はぞっとするようなゾンビから、不意をつく様々な演出など、ローポリゴンなりに「ホラー」と呼ぶに十分「不浄であり不潔」な描写をしている。またモチーフとなった映像作品にしても、ゾンビものの定番『ドーン・オブ・ザ・デッド』から、洋館ものとして『スウィートホーム』、演出面では『悪魔のいけにえ』からのそれぞれ影響を受けていることを三上は公言しており、原作の世界観を愚直に踏襲した従来の「ホラー的なゲーム」と比べても、独自の「ホラー」を追求する姿勢は独自のものだ。

必ずしもゾンビにこだわらず、カラスや食虫植物などの脅威が登場するのも特徴である

次に、『アローン』はゲームデザインでいかに恐怖を煽るかという工夫が、あまりうまく機能していない。

実際に『アローン』をプレイしたところ、拙いながらフィクションとしては「ホラー」をうまく演出できているのだが、プレイするに連れて「この謎をどう解けばいいのか」「この敵をどう排除するか」といった「現実=ルール」の側面ばかり頭を支配し、ノエルの論じた「虚構を思考することで味わう恐怖(思考説)」はほとんど得られなかった。むしろ『アローン』は「触れれば即死のトラップ」など90年代らしい高難易度によって、ゲーム的リアルを強調してしまう側面があった。

その点、『バイオハザード』はゲームデザインとしていかに「ホラー」を体験させるかに腐心した跡が散見される。

例えば、ゾンビの挙動。ゾンビは本作でもっともありふれた敵にして、最大の脅威でもあるが、よく観察すると動きが鈍重なために、まともに戦わずとも横を走り抜けてスルーすることができることに気付く。つまり本作はホラーゲームであるにもかかわらず、多くの敵がさしたる脅威にはならないのである。

では『バイオハザード』はヌルゲーなのかといえば、もちろんそうではない。プレイヤーはゲームを進行する上で洋館の中を何度か往復せねばならず、従ってゾンビを倒さずに放置した場合、何度もゾンビの横をすり抜けるうちに「いつか掴まれるかもしれない」というリスクを背負うことになる。かといってゾンビを倒そうとした場合、弾薬の総量も限られているため、弾薬が枯渇し他の場所で戦えなくなる可能性も存在する。このように『バイオハザード』は一部ボスを除けばさしたる脅威は存在しないのだが、だからこそ「すり抜けて掴まれたら?」「倒して弾がなくなったら?」といった「ゲーム的な恐怖」を常に巡らせることで、ゲームならではの恐怖を体験させている。

ここで特に『バイオハザード』の優れている点は、ゲーム上の「死」「ゲームオーバー」をそのまま恐怖へと結びつけなかったことだ。実は、ゲーム上における「死」は何の恐怖でもなく、むしろ(自身は安全な)プレイヤーと虚構世界の体験との乖離を著しくする。その点『バイオハザード』は敵の配置と往復を促すレベル構造、そして弾薬というリソース概念を掛け合わせることで、常に死にそうだが死にきれないという「生と死の宙づり」状態を作り、フィクション(虚構)とルール(現実)を見事に「錯覚」させることで、本作はゲームならではの恐怖を描いているのである。

興味深いことに、ディレクターの三上はこうした「簡単そうな」ゲームデザインを実装する上で、スタッフとしばし口論になったという。曰く、スタッフは「ゾンビが鈍すぎるのでプレイヤーに簡単に走り抜けられ、ゲームとして簡単すぎる」と批判し、許可なくゾンビに吸い込むように強力な掴み攻撃を実装した。しかし、三上は「すり抜けるからこそいい」「何度もすり抜けるうちに失敗するかもというスリルを味わう、それが恐怖となる」として頑として譲らなかった。この「宙づり」の英断こそ、本作が凡百のアクションゲームではなく「ホラーゲーム」たらしめた理由ではないかと思う。

その他にも、鈍重なゾンビばかり配置した直後に、素早い動きで襲い掛かる「ケルベロス」を配置することでプレイヤーの不意を突いたり(初登場時に窓を突き破る演出も、フィクション的ホラーとして満点だろう)、即死させず「毒状態」にすることで血清を使うか使わないか、というイベントとしての「宙づり」を発生させた「ヨーン」の存在など、いかにゲームデザインで恐怖を味わせるかという工夫を鑑みると、本作はやはり「ホラーゲーム」を打ち立てたマイルストーンと評価しても過言ではない。

例のシーン


『Half-Life』 「視点」と「AI」を介して描くナチュラルホラー的な虚構体験

『バイオハザード』が日本でホラーゲームの金字塔となった一方、偶然にも北米にて、同じくホラーゲームの傑作が生まれる。それは1998年に発売された『Half-Life』だ。本作は後に「Steam」によってPCゲームの流通を支配するValveの原点でありながら、『バイオハザード』と並んで20世紀におけるホラーゲーム最大の傑作の一つと言えるだろう。

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