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Sons of the Forest批評 にんげん食べ放題ゲームがスプラトゥーンより売れた理由と課題

ゲームは普段できないようなことでもできるのが楽しみだ。鳥になって空を飛ぶでもいいし、格闘家になって殴りあうでもいい。高級車を盗んで暴走するなんていたずらも最高だ。しかし、人間を食べることほど、恐らく現実では到底できない営みはそうそうないだろう。

発売して1日で200万本売れた『Sons of the Forest』の楽しみは、畢竟、カニバリズムである。本作の主人公はひょんなことから無人島に墜落し、食糧もおおよそ喪失、道具もないので動物や魚を捕まえることすらままならない。そんな絶体絶命の状況。するとどういうわけか、奇声をあげる「にんげん」に襲撃されるではないか。辛うじてこん棒などで彼らを撃退すると、すかすかの胃袋は己へ問うてくる。

「それ、食えないだろうか?」

本作はプレイヤーをカニバリズムへと誘う。それも極めて自然に、かつ大胆に。そして一人分の肉を食ったプレイヤーは、次は良心の呵責なく別の肉を食い、それどころか次第に「肉」を狩るために効率的な道具や戦略を備えるようになるだろう。気づけば絶望の無人島はにんげん食べ放題のビュッフェとなっているのだ。

こう聞くと、間違いなく趣味の悪いゲームだ。最悪のゲームと言ってもいい。少なくともNHK「ゲームゲノム」では絶対紹介できないだろう。だが恐らく、『Sons of the Forest』は「ゲームゲノム」で紹介された多くのインディーゲーム以上に売れるだろうし、前作『The Forest』(累計500万本)に至っては初代『スプラトゥーン』(累計495万本)よりも売れてしまった事実がある

では一体どうしてゲーマーたちは人間を食べるゲームにここまで夢中になるのか。カニバリズムに宿る、恐ろしき「楽しみ」とは何かを考えていきたい。


Minecraft×食人族=The Forest

まず、本論に入る前に、そもそも『Sons of the Forest』におけるカニバリズムの必然性について考えたい。冒頭でカニバリズムに触れはしたが、実はこのゲーム、カニバリズムが必須というわけではない。食糧は動物から得ることもできるし、ヴィーガンプレイに徹することもできなくもない。(実際、前作には敵が出現しないモードの名前は「veganmode」だった)

生ガキを食べてもいい。

なのでカニバリズムこそ本作の醍醐味であると論ずるのは、不当のようにも思えるかもしれない。そこでまず、カニバリズムについて説明をする前に、『Sons of the Forest』とは何か、特に前作『The Forest』とのつながり、さらに本作が位置するジャンル「サバイバル・クラフト」を振り返りつつ、果たして本作を評価する上でいかにカニバリズムを語らざるを得ないのか、考えたい。

まず、本作はそのタイトルからもわかるように『The Forest』という作品の続編である。

『The Forest』は2014年にアーリーアクセスを開始したサバイバル・クラフト系ゲームで、冒頭にも論じたように、プレイヤーは絶海の孤島であの手この手を尽くしてサバイバルし、島の謎を解き明かすという内容だった。ただ生き残るという単純明快で本能的な目標、そして斧や槍など原始的な武器を使った戦闘、ちょっとしたオープンワールドのような空間を冒険する上での好奇心など、まさにディスカバリーチャンネルで見たような(主人公の元ネタも明らかにそれ)サバイバル生活をゲーム上で追体験できるとあって、販売本数は500万本以上と、インディーゲームとして例を見ない成功を収めた。

しかし、多くのゲームがそうであるように、『The Forest』もまたゼロから生まれた作品ではなく、いくつかの前例から影響を受けた作品である。

その元ネタの一つが、世界中の子どもが遊んだであろう『Minecraft』だ。実は、本作のゲームプレイを丁寧に分析していくと、明確に『Minecraft』のサバイバルモードを拡張した作品となっている。具体的には『Minecraft』におけるサバイバル要素を写実的な無人島に置き換え、建築やクラフトといった同作の魅力も継承しつつ、さらに同時期に流行ったサバイバルゲーム『Don't Starve』のシビアな食糧や水分管理も取り入れた……といった具合だ。かように『Minecraft』を現代的にブラッシュアップしたことで成功したのが『The Forest』である(なお、開発のEndnightも『Minecraft』と『Don't Starve』の影響を公言している。)。


そんな本作が『Minecraft』の安易なフォロワーとならなかったのは、なんといってもルッジェロ・デオダート監督『食人族』をはじめとした、70~80年代のイタリアホラー映画のエッセンスを取り込んだためだろう。『食人族』というのはホラー映画の中でも、拷問、強姦、食人と倫理観をぶっ飛ばした描写を詰め込んだ、その筋では有名なカルト映画。本作にも映画と同じようなゴア描写が連発し、SAN値急降下まったなしなルックスの食人族に、彼らが作る人肉オブジェと、CEROが見たら一発アウトまったなしなグロテスク要素がたっぷりある。

元ネタはマジでえぐいので検索の際には要注意

その中でも極めつけは、食人族の蛮行を、プレイヤー自身で実際にやってしまえること……つまり、カニバリズムである。繰り返すように本作には『Minecraft』よりもシビアになった食糧管理のシステムがあり、主人公はすぐ空腹になる割に食べ物はほとんどない。そこで襲い掛かってくる食人鬼を自ら斧で解体し、食べてしまえるのだ。気づけばプレイヤーは食人鬼を恐れるどころか、「食糧が向こうからやってきた」「近所にスーパーができた」「Uber〇atsだ」と嬉々として食人鬼をバラし、その場でかじりだすという狂気に慣れてしまう。

実は元ネタである『食人族』も、実はジャングルに訪れた白人たちがヤラセのために現地人を挑発、虐殺しており、それに怒った現地人たちが報復しただけだった──作中のセリフを借りれば「どちらが本当の食人鬼なのか(I wonder who the real cannibals are.)」という内容であり、プレイヤーが食人鬼以上の狂気へ陥る『The Forest』は、まさにそんな原作リスペクトでもあるわけだが、さりとて、プレイヤーは喜んでにんげんの肉を食べるので、そんな教訓はあまり伝わっていないかもしれない。

かように『The Forest』の魅力とは、大ヒット作品たる『Minecraft』のサバイバル要素を抽出した手堅くも親しみやすいゲームプレイをベースにしながらも、そこに70~80年代のイタリアカルト映画を融合してしまったことで生まれた、「ちょうどよいB級感」だと思う。つまり、『Minecraft』のような自由で気楽なサバイバルのただなかに、食人鬼に襲われるホラー的なシチュ、そして食糧管理があるからこそ倒した食人鬼たちを逆に「食べざるを得ない」という狂気が、得も言われぬ背徳感を生み出していたのだ。

The Forestの本編ストーリーを追うと、ちゃんと『食人族』リスペクトなのがわかる

もし、ゲームプレイまでカルト的に複雑・理不尽にしてしまえば大衆の評価を得られなかっただろうし、一方で世界観が安易なゾンビホラーであれば精細に欠けただろう。


サバイバル・クラフト系ゲームの行く末は

ここまで論じてきたように、『The Forest』は実に革新的な作品だった。特に『Minecraft』のサバイバル要素の可能性をいち早く分析し、それを拡張しながら独自のアレンジを加えれば面白いゲームが作れる、というEndnightの発想は間違いなくゲームデザイン史に革命を起こしたと言えるだろう。事実『The Forest』の成功以来、広大なフィールド上でクラフトを駆使してサバイバルを行う、いわば「サバイバル・クラフト」とでも呼ぶべきジャンルの作品も多数生まれたからだ。

その点で、『The Forest』は2014年に公開された作品の中でも稀有な名作だ……いや、「名作だった」と言うべきだろう。

ここからようやく続編の『Sons of the Forest』を論じたいのだが、率直に言えば、現状『The Forest』からの変化が乏しく、時代遅れの感が否めない(※)。

確かに、純粋に進歩した点はいくつもある。Unity環境で開発しながらも、AAA級とも張り合えるような美しいジャングルの描写もさることながら、後述するようにAIの技術を大きく開発し、ついに同行するNPCまで実装されたのも面白い……のだが、本当にそれだけなのだ。少なくともゲームプレイという点で、『The Forest』から大きく変わった点はない。

(※一応開発が間に合わず現状アーリーアクセス段階なので、今後のアップデートで独自の進化をするものと期待したい)

NPCは頼もしい仲間というよりかわいいペットという感じ

それだけならまだしも、『The Forest』以降「サバイバル・クラフト」作品には多数の名作が生まれ、発展してしまったのも、『Sons of the Forest』に不満を抱く理由であろう。そこで、具体的に現代の「サバイバル・クラフト」作品と比べつつ、『Sons of the Forest』の問題点を考えていこう。

繰り返すように、『The Forest』のゲームデザインは『Minecraft』のサバイバルモードを、かなり実直に踏襲している。よって『The Forest』の時点で、すでにいくつか問題点があった。それが、拠点構築とフィールド探索という2つのゲームプレイの間に、ほとんどシナジーがないことである。

例えば、仮に冒険をしている間に、拠点にはうってつけの土地を見つけ、ありったけの資材をかき集めて防壁や櫓、倉庫などを建築し、自分の拠点を築いたとする。この拠点構築そのものは確かに楽しい。しかし、いくら拠点を築いたところで、物質を集めたり、物語を進めるためには拠点から出なければいけない。そして一度拠点から出てしまうと、今度は復路が面倒になったり、そもそも冒険のために拠点は必要ではないことに気づいてしまうことだろう。このように、拠点構築とフィールド探索、2つの要素の間に実はほとんどシナジーがなく、従ってゲームに慣れると拠点を作る意味や価値を見出せなくなってしまうのだ。

拠点構築そのものはとても楽しい。だからこそ惜しい。

残念ながらこの『The Forest』の時点で存在した問題は『Sons of the Forest』においても解決していない。前作から建築のためのレシピが増えたり、建築そのものにもリアリティが増した(特に伐採をしている時の感覚や、倒木するアニメーションなどは最高)のだが、結局ゲームを進めるうえで必要性はほとんどなく、いくら拠点構築が楽しくともクリアに貢献しないので徒労感がある。


一方、この問題を見事に解決した作品も存在する。

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